2004/09/05 東京有楽町 東京国際フォーラムCホールで行われた「デビルマン」のプレミア試写会に行って来た。
舞台挨拶は紹介順で、監督の那須博之、出演の伊崎央登、伊崎右典、酒井彩名、渋谷飛鳥、冨永愛、阿木燿子、宇崎竜童、そして原作の永井豪。
また、舞台挨拶の冒頭にはhiroの主題歌「光の中で」のライヴがあり、明日9月6日が誕生日である永井豪の誕生祝もあった。
両親を亡くし牧村家(啓介/宇崎竜童、恵美/阿木燿子)に引き取られた不動明(伊崎央登)は平凡な高校生として、ガールフレンドの牧村美樹(酒井彩名)らと共に、穏やかな毎日を送っていた。
一方、明の親友で、飛鳥教授(本田博太郎)を父に持つ飛鳥了(伊崎右典)は何不自由なく育ち、スポーツも成績も優秀だったが、キレルと何をするかわからない恐さを秘めていた。
そんなある日、新エネルギーを探索する飛鳥教授らは南極地底湖のボーリング中に、人と合体して増殖する古代知的生命体「デーモン」を呼び覚ましてしまう。
それは他の種族の生命体と合体し、その相手の能力を取り込み進化し続ける邪悪な魂を持つ知的生命体であった。
そして、次々と人間を乗っ取り始めたデーモンたち。
了とともに飛鳥教授の研究施設を訪れた明の体にもデーモンが侵食を開始するが・・・・。
永井豪の「デビルマン」を、二つの大きな出来事を含めて、実写化したことは評価できるが、全体的に見た場合、本作「デビルマン」は残念な作品だと言わざるを得ない。
個人的には、折角の「デビルマン」実写化のチャンスを・・・・。
と言う気持ちで一杯である。
先ずは、脚本がまずい。
好意的に強引に解釈すると「行間を読め」的な脚本とも取れるのだが、一般の観客に対しては、あまりにも不親切で、どんどん話が進んでしまう感が否めないし、原作の壮大なイメージを著しく矮小化されているような印象を受ける。
また、登場人物が特異な環境や背景、状況をあまり考えずに簡単に受け入れ、納得してしまっているのはいかがなものか、と思うのだ。
そして、主演二人の演技がまずい。
二人のビジュアルは、許容範囲であり、上手く行けば上手く行くのでは、と期待していたのだが、残念な事にわたしの期待は見事に裏切られる結果になってしまったと言わざるを得ない。
キャストよりCGIの方が演技が上手いのは、まずい事だと思うのだ。
しかし、逆に吹替え上映が一般的な海外にこの作品を持って言った場合、二人の演技がダメでも、所謂声優さんが頑張れば、何とかなるのかも知れない。とも考えてしまう。
あとは、日本映画の悪い癖なのだが、不必要なカメオが多い点が気になった。
物語のテンポを崩し、シリアスな場面だったものをコミカルな場面に転化してしまい、観客の意識を物語から引き離してしまう、こんなカメオが本当に必要なのだろうか?
勿論、いろいろな「大人の理由」が存在している事は承知しているが、やはり不必要なカメオの導入には、大きな疑問を感じてしまうのだ。
とは言うものの、評価できない点ばかりかというと、そうでもなく、例えば前述の通り、原作にある「二つの大きな出来事」を正攻法で正面から描いたのは、評価できるし、気分的には拍手モノである。勿論絵面だけ再現したからと言って拍手するのも問題だと思うのだか。
特に、二つ目の方の出来事を描いたのは、素晴らしい事だと思う。そのあたりの描写に「新世紀エヴァンゲリオン」のイメージとダブる感があるが、モトネタは「デビルマン」である。
また、CGIについては、ハリウッド作品のように、画面が暗い上に、カメラが被写体に寄り過ぎていて、何が起きているかわからない、と言ったCGIアクションではなく、引きでしかも比較的明るい画面で、CGIアクションを見せたのは評価に値するだろう。
そして、実写とCGIとアニメーションを融合させた「T−VISUAL」と言う手法も評価に値するのではないか、と思うのだ。
現在一般的に行われている、モーション・キャプチャーではなく、原画マンが描いた「アニメ的に誇張された原画」を基にCGIが創られているのだ。そういった手法をあみ出した事は評価できるのだ。
これは、ストップ・モーションの第一人者フィル・ティペットがCGIのスーパーバイザー等を務めた「ジュラシック・パーク」や「マトリックス レボリューションズ」の、CGIながら、生物的で愛嬌を持った動きを再現していたり、機械でありながら、その機械の操縦者の性格を表現しているような動きをしているのと、対比する事が出来る。
誤解を恐れずに言わせて貰えば、古い技術のエッセンスを活用し、新しい手法でキャラクターに命を吹き込んでいる、と言うことなのである。
しかしながら、実写パートとCGIパートが見事に融和を拒んでいる。カメラの動きも、何もかもが牽制しあっている印象を受ける。
また編集もガタガタで、シーンの繋がりが驚きに満ちている。
キャストについては、やはり主演の二人(伊崎央登、伊崎右典)は、演技ではなく、ビジュアル先行で本作にキャスティングされたのだとは思うし、そのビジュアル先行のキャスティングに対しては、ある意味成功だと思うし、英断だと思うのだが、如何せん演技がついて行っていないのだ。
もうすこし演出でなんとかならなかったのだろうか。非常に残念な気がする。
今時の学芸会でももっとマシだと思うのだ。
一方、牧村美樹役の酒井彩名は結構良かったし、ミーコ役の渋谷飛鳥や、ススム役の子役(名前はわかりません)もまあまあ良かった。と言うか、素晴らしく見えた。
と言うか、この二人はガタガタの現場でよく頑張ったと思うぞ。
主役二人より、ススムくんの方が演技が上手だと言うのは、困ったものである。(余談だが、ススムくんを演じた子役俳優は舞台挨拶には出てこなかったのだが、親子連れで会場に顔を出していた)
シレーヌを演じた冨永愛は存在感があり、思っていたより良い印象なのだが、CGIの部分とライブ・アクションの部分でコスチュームが全然違うのは、いかがなものか、と思うのだ。
ついでに脚本上、シレーヌはいなくなってしまうし。
結論としては、
1.FLAMEファンの皆さんには、オススメの作品
2.原作「デビルマン」ファンの皆さんには、「二つの大きな出来事」が真正面から映像化されている点、CGIのデビルマン等のビジュアル・コンセプトが良い点、「その部分だけで良ければ」、結構オススメの作品
3.一般の観客の皆さんには、日本が誇るダーク・ヒーローの実写化娯楽作品として、少しだけオススメの作品と言うところだろうか。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
激怒でございます。
原作と映画は別物だと常々思っているし、そう言う発言を繰り返してきたわたしでさえ、映画を観ている間、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
カメオ出演の永井豪の悲しげな表情は何を意味していたのだろうか。
舞台挨拶は紹介順で、監督の那須博之、出演の伊崎央登、伊崎右典、酒井彩名、渋谷飛鳥、冨永愛、阿木燿子、宇崎竜童、そして原作の永井豪。
また、舞台挨拶の冒頭にはhiroの主題歌「光の中で」のライヴがあり、明日9月6日が誕生日である永井豪の誕生祝もあった。
両親を亡くし牧村家(啓介/宇崎竜童、恵美/阿木燿子)に引き取られた不動明(伊崎央登)は平凡な高校生として、ガールフレンドの牧村美樹(酒井彩名)らと共に、穏やかな毎日を送っていた。
一方、明の親友で、飛鳥教授(本田博太郎)を父に持つ飛鳥了(伊崎右典)は何不自由なく育ち、スポーツも成績も優秀だったが、キレルと何をするかわからない恐さを秘めていた。
そんなある日、新エネルギーを探索する飛鳥教授らは南極地底湖のボーリング中に、人と合体して増殖する古代知的生命体「デーモン」を呼び覚ましてしまう。
それは他の種族の生命体と合体し、その相手の能力を取り込み進化し続ける邪悪な魂を持つ知的生命体であった。
そして、次々と人間を乗っ取り始めたデーモンたち。
了とともに飛鳥教授の研究施設を訪れた明の体にもデーモンが侵食を開始するが・・・・。
永井豪の「デビルマン」を、二つの大きな出来事を含めて、実写化したことは評価できるが、全体的に見た場合、本作「デビルマン」は残念な作品だと言わざるを得ない。
個人的には、折角の「デビルマン」実写化のチャンスを・・・・。
と言う気持ちで一杯である。
先ずは、脚本がまずい。
好意的に強引に解釈すると「行間を読め」的な脚本とも取れるのだが、一般の観客に対しては、あまりにも不親切で、どんどん話が進んでしまう感が否めないし、原作の壮大なイメージを著しく矮小化されているような印象を受ける。
また、登場人物が特異な環境や背景、状況をあまり考えずに簡単に受け入れ、納得してしまっているのはいかがなものか、と思うのだ。
そして、主演二人の演技がまずい。
二人のビジュアルは、許容範囲であり、上手く行けば上手く行くのでは、と期待していたのだが、残念な事にわたしの期待は見事に裏切られる結果になってしまったと言わざるを得ない。
キャストよりCGIの方が演技が上手いのは、まずい事だと思うのだ。
しかし、逆に吹替え上映が一般的な海外にこの作品を持って言った場合、二人の演技がダメでも、所謂声優さんが頑張れば、何とかなるのかも知れない。とも考えてしまう。
あとは、日本映画の悪い癖なのだが、不必要なカメオが多い点が気になった。
物語のテンポを崩し、シリアスな場面だったものをコミカルな場面に転化してしまい、観客の意識を物語から引き離してしまう、こんなカメオが本当に必要なのだろうか?
勿論、いろいろな「大人の理由」が存在している事は承知しているが、やはり不必要なカメオの導入には、大きな疑問を感じてしまうのだ。
とは言うものの、評価できない点ばかりかというと、そうでもなく、例えば前述の通り、原作にある「二つの大きな出来事」を正攻法で正面から描いたのは、評価できるし、気分的には拍手モノである。勿論絵面だけ再現したからと言って拍手するのも問題だと思うのだか。
特に、二つ目の方の出来事を描いたのは、素晴らしい事だと思う。そのあたりの描写に「新世紀エヴァンゲリオン」のイメージとダブる感があるが、モトネタは「デビルマン」である。
また、CGIについては、ハリウッド作品のように、画面が暗い上に、カメラが被写体に寄り過ぎていて、何が起きているかわからない、と言ったCGIアクションではなく、引きでしかも比較的明るい画面で、CGIアクションを見せたのは評価に値するだろう。
そして、実写とCGIとアニメーションを融合させた「T−VISUAL」と言う手法も評価に値するのではないか、と思うのだ。
現在一般的に行われている、モーション・キャプチャーではなく、原画マンが描いた「アニメ的に誇張された原画」を基にCGIが創られているのだ。そういった手法をあみ出した事は評価できるのだ。
これは、ストップ・モーションの第一人者フィル・ティペットがCGIのスーパーバイザー等を務めた「ジュラシック・パーク」や「マトリックス レボリューションズ」の、CGIながら、生物的で愛嬌を持った動きを再現していたり、機械でありながら、その機械の操縦者の性格を表現しているような動きをしているのと、対比する事が出来る。
誤解を恐れずに言わせて貰えば、古い技術のエッセンスを活用し、新しい手法でキャラクターに命を吹き込んでいる、と言うことなのである。
しかしながら、実写パートとCGIパートが見事に融和を拒んでいる。カメラの動きも、何もかもが牽制しあっている印象を受ける。
また編集もガタガタで、シーンの繋がりが驚きに満ちている。
キャストについては、やはり主演の二人(伊崎央登、伊崎右典)は、演技ではなく、ビジュアル先行で本作にキャスティングされたのだとは思うし、そのビジュアル先行のキャスティングに対しては、ある意味成功だと思うし、英断だと思うのだが、如何せん演技がついて行っていないのだ。
もうすこし演出でなんとかならなかったのだろうか。非常に残念な気がする。
今時の学芸会でももっとマシだと思うのだ。
一方、牧村美樹役の酒井彩名は結構良かったし、ミーコ役の渋谷飛鳥や、ススム役の子役(名前はわかりません)もまあまあ良かった。と言うか、素晴らしく見えた。
と言うか、この二人はガタガタの現場でよく頑張ったと思うぞ。
主役二人より、ススムくんの方が演技が上手だと言うのは、困ったものである。(余談だが、ススムくんを演じた子役俳優は舞台挨拶には出てこなかったのだが、親子連れで会場に顔を出していた)
シレーヌを演じた冨永愛は存在感があり、思っていたより良い印象なのだが、CGIの部分とライブ・アクションの部分でコスチュームが全然違うのは、いかがなものか、と思うのだ。
ついでに脚本上、シレーヌはいなくなってしまうし。
結論としては、
1.FLAMEファンの皆さんには、オススメの作品
2.原作「デビルマン」ファンの皆さんには、「二つの大きな出来事」が真正面から映像化されている点、CGIのデビルマン等のビジュアル・コンセプトが良い点、「その部分だけで良ければ」、結構オススメの作品
3.一般の観客の皆さんには、日本が誇るダーク・ヒーローの実写化娯楽作品として、少しだけオススメの作品と言うところだろうか。
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激怒でございます。
原作と映画は別物だと常々思っているし、そう言う発言を繰り返してきたわたしでさえ、映画を観ている間、ふつふつと怒りが湧き上がってきた。
カメオ出演の永井豪の悲しげな表情は何を意味していたのだろうか。
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