2004/08/26 東京有楽町よみうりホールで「愛の落日」の試写を観た。
1952年、独立解放戦線と政府との争いが激化するフランス占領下ベトナムの首都サイゴン。
ロンドン・タイムズの特派員である初老の男トーマス・ファウラー(マイケル・ケイン)は、ロンドンに妻子がいながら、愛人の若く美しいベトナム人女性フォング(ドー・ハイ・イエン)と、サイゴンで幸せな日々を送っていた。
ある時、アメリカの援助団体に属する青年医師アルデン・パイル(ブレンダン・フレイザー)と知り合ったファウラーは、物静かで真摯なパイルに好感を持ち、交流を始める。
お互いを尊敬し尊重しながら友人関係を育んでゆく彼らだったが、ファウラーからフォングを紹介されたパイルは彼女に恋をしてしまう。
やがてフォングをめぐって、ファウラーとパイルの間に微妙な亀裂が生じてゆく。
そして・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督はフィリップ・ノイス
撮影はクリストファー・ドイル
出演はマイケル・ケイン、ブレンダン・フレイザー、ドー・ハイ・イエン、レイド・セルベッジア、ツィ・マー、ロバート・スタントン、ホームズ・オズボーン等
この秋、是非オススメの一本である。
とは言うものの、本作「愛の落日」の表の顔は、ファウラー(マイケル・ケイン)、フォング(ドー・ハイ・イエン)、パイル(ブレンダン・フレイザー)という3人の恋愛模様と痴情のもつれを、ベトナム戦争前夜を舞台に描いた、ありがちと言っても良い物語である。
しかし、本作「愛の落日」の裏の顔は、1952年当時のフランス占領下にあるベトナムに対し、アメリカが軍事介入する経緯をフィクションとして描き、観客に対しある種の疑問を投げかけている、と考えられるような構成を持っているのだ。
そう考えた場合、例のファウラー、フォング、パイル等の痴情のもつれは、「愛の落日」の裏の顔(真の顔)を覆い隠すカモフラージュに過ぎないかも知れないのだ。
そして製作者サイドが観客に投げかける、その疑問だが、それを考える前にこの映画の背景を考える必要がある。
本作「愛の落日」は、グレアム・グリーンの時代風刺を痛烈に盛り込んだ名作「おとなしいアメリカ人」(1955年)を映画化したものである。
そして偶然か必然なのか、2001年9月11日の同時多発テロが発生、この映画の社会的テーマ性から全米公開が延期となり、いくつかの映画祭や限定上映はあったものの、北米拡大ロードショーは翌2002年2月にずれ込んだ訳である。
皮肉なことに、このように全米公開が延期されたため、本作が観客に投げかける疑問は、より一層明確になってきた感が否めないのだ。
『ベトナム戦争前夜にアメリカはこんな事をしていたが、イラク侵攻前夜のアメリカは一体何をしていたのか』と。
偶然か必然なのかわからないが、恐ろしくシニカルな状況にこの映画は置かれてしまった訳なのだ。
そして今秋、本作「愛の落日」が日本公開となるのだが、この映画の公開は、観る人によっては、マイケル・ムーアの「華氏911」への援護射撃的側面を持つ作品と捉えられる事になる、と思われるのだ。
『ベトナムではこうだったが、イラクではどうだったんだ』と。
この映画に関心があるのならば、「愛の落日」は痴情のもつれを描いたラヴ・ストーリーではなく、政治的背景を持ち観客に疑問を投げかける作品として観て欲しいとわたしは思うのだ。
あともうひとつ、二人の男性に翻弄されるファングは何を象徴しているのかを、何のメタファーなのかを考えていただきたいと思う。
そして勿論、ファウラーとパイルが何を象徴しているのかをも、同時に考えていただきたいと思うのだ。
=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
ところで、キャストだが、先ずマイケル・ケインの起用が素晴らしい。
何故素晴らしいかは現段階では詳細に書けないが、マイケル・ケインの映画的記憶を見事に利用した素晴らしいキャスティングと言わざるを得ないのだ。
一方、ブレンダン・フレイザーだが、彼はホラーやコメディ、青春モノを経て「ハムナプトラ」シリーズでブレイクした訳だが、本作を見ると文芸系作品もこなせる良い俳優にやっとなって来たかなと思え、今後のキャリアを考えた場合、つまならいCGIアクション娯楽作品のような映画ではなく、本作のような、しっとりとしていながら「何か」を持っている役柄を演じて欲しいと思ってしまう。
ヒロイン役のドー・ハイ・イエンは、なんと言っても美しく魅力的である。
おそらく西洋人が東洋人女性に憧れる部分を極限的に高めた役柄となっているのだろう。ブレンダン・フレイザー演じるパイルがいきなりフォングに惚れるのは、東洋人である日本人には一般的に理解できないかも知れないが、西洋人が東洋人女性に対して持っている憧れや何かを考えると、決してリアリティが無いわけではない、と思えるのである。
あとは、ファウラーの現地のコーディネーターを演じたツィ・マーが印象的であった。彼の孤高の生き様が格好良いのだ。
また、ヴィゴ捜査官を演じたラデ・シェルベッジアも強烈な存在感を醸し出していた。
撮影はクリストファー・ドイルだが、彼の名を一躍高めたウォン・カーウァイの作品に多く見られた手持ちカメラでブレを多用した作風ではなく、美しくきっちりと落ち着いた画面を見事に切り取っていた。
ドイルはもしかすると、東洋をソツなく撮れる、貴重な西洋人カメラマン的存在なのかも知れない。
1952年、独立解放戦線と政府との争いが激化するフランス占領下ベトナムの首都サイゴン。
ロンドン・タイムズの特派員である初老の男トーマス・ファウラー(マイケル・ケイン)は、ロンドンに妻子がいながら、愛人の若く美しいベトナム人女性フォング(ドー・ハイ・イエン)と、サイゴンで幸せな日々を送っていた。
ある時、アメリカの援助団体に属する青年医師アルデン・パイル(ブレンダン・フレイザー)と知り合ったファウラーは、物静かで真摯なパイルに好感を持ち、交流を始める。
お互いを尊敬し尊重しながら友人関係を育んでゆく彼らだったが、ファウラーからフォングを紹介されたパイルは彼女に恋をしてしまう。
やがてフォングをめぐって、ファウラーとパイルの間に微妙な亀裂が生じてゆく。
そして・・・・。
(オフィシャル・サイトよりほぼ引用)
監督はフィリップ・ノイス
撮影はクリストファー・ドイル
出演はマイケル・ケイン、ブレンダン・フレイザー、ドー・ハイ・イエン、レイド・セルベッジア、ツィ・マー、ロバート・スタントン、ホームズ・オズボーン等
この秋、是非オススメの一本である。
とは言うものの、本作「愛の落日」の表の顔は、ファウラー(マイケル・ケイン)、フォング(ドー・ハイ・イエン)、パイル(ブレンダン・フレイザー)という3人の恋愛模様と痴情のもつれを、ベトナム戦争前夜を舞台に描いた、ありがちと言っても良い物語である。
しかし、本作「愛の落日」の裏の顔は、1952年当時のフランス占領下にあるベトナムに対し、アメリカが軍事介入する経緯をフィクションとして描き、観客に対しある種の疑問を投げかけている、と考えられるような構成を持っているのだ。
そう考えた場合、例のファウラー、フォング、パイル等の痴情のもつれは、「愛の落日」の裏の顔(真の顔)を覆い隠すカモフラージュに過ぎないかも知れないのだ。
そして製作者サイドが観客に投げかける、その疑問だが、それを考える前にこの映画の背景を考える必要がある。
本作「愛の落日」は、グレアム・グリーンの時代風刺を痛烈に盛り込んだ名作「おとなしいアメリカ人」(1955年)を映画化したものである。
そして偶然か必然なのか、2001年9月11日の同時多発テロが発生、この映画の社会的テーマ性から全米公開が延期となり、いくつかの映画祭や限定上映はあったものの、北米拡大ロードショーは翌2002年2月にずれ込んだ訳である。
皮肉なことに、このように全米公開が延期されたため、本作が観客に投げかける疑問は、より一層明確になってきた感が否めないのだ。
『ベトナム戦争前夜にアメリカはこんな事をしていたが、イラク侵攻前夜のアメリカは一体何をしていたのか』と。
偶然か必然なのかわからないが、恐ろしくシニカルな状況にこの映画は置かれてしまった訳なのだ。
そして今秋、本作「愛の落日」が日本公開となるのだが、この映画の公開は、観る人によっては、マイケル・ムーアの「華氏911」への援護射撃的側面を持つ作品と捉えられる事になる、と思われるのだ。
『ベトナムではこうだったが、イラクではどうだったんだ』と。
この映画に関心があるのならば、「愛の落日」は痴情のもつれを描いたラヴ・ストーリーではなく、政治的背景を持ち観客に疑問を投げかける作品として観て欲しいとわたしは思うのだ。
あともうひとつ、二人の男性に翻弄されるファングは何を象徴しているのかを、何のメタファーなのかを考えていただきたいと思う。
そして勿論、ファウラーとパイルが何を象徴しているのかをも、同時に考えていただきたいと思うのだ。
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ところで、キャストだが、先ずマイケル・ケインの起用が素晴らしい。
何故素晴らしいかは現段階では詳細に書けないが、マイケル・ケインの映画的記憶を見事に利用した素晴らしいキャスティングと言わざるを得ないのだ。
一方、ブレンダン・フレイザーだが、彼はホラーやコメディ、青春モノを経て「ハムナプトラ」シリーズでブレイクした訳だが、本作を見ると文芸系作品もこなせる良い俳優にやっとなって来たかなと思え、今後のキャリアを考えた場合、つまならいCGIアクション娯楽作品のような映画ではなく、本作のような、しっとりとしていながら「何か」を持っている役柄を演じて欲しいと思ってしまう。
ヒロイン役のドー・ハイ・イエンは、なんと言っても美しく魅力的である。
おそらく西洋人が東洋人女性に憧れる部分を極限的に高めた役柄となっているのだろう。ブレンダン・フレイザー演じるパイルがいきなりフォングに惚れるのは、東洋人である日本人には一般的に理解できないかも知れないが、西洋人が東洋人女性に対して持っている憧れや何かを考えると、決してリアリティが無いわけではない、と思えるのである。
あとは、ファウラーの現地のコーディネーターを演じたツィ・マーが印象的であった。彼の孤高の生き様が格好良いのだ。
また、ヴィゴ捜査官を演じたラデ・シェルベッジアも強烈な存在感を醸し出していた。
撮影はクリストファー・ドイルだが、彼の名を一躍高めたウォン・カーウァイの作品に多く見られた手持ちカメラでブレを多用した作風ではなく、美しくきっちりと落ち着いた画面を見事に切り取っていた。
ドイルはもしかすると、東洋をソツなく撮れる、貴重な西洋人カメラマン的存在なのかも知れない。
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