「バイオハザードII アポカリプス」
2004年8月23日 映画
2004/08/23 東京有楽町 丸の内ピカデリー1で行われた「バイオハザードII アポカリプス」の試写会に行ってきた。
舞台挨拶は、主演のミラ・ジョヴォヴィッチ。
巨大企業アンブレラ社の拠点があるラクーン・シティでは、一般市民が、狂ったように他の一般市民を襲い、殺害する事件が頻発していた。
これはアンブレラ社が地下研究所「ハイブ」で極秘開発していた「T−ウィルス」の感染者が引き起こしたものだった。
その「T−ウィルス」の感染者は、感染後数時間で一旦は死に至るが、「T−ウィルス」の作用で活性化し、人間を食料とみなし、本能のまま人間を際限なく襲い続けるのである。
この大混乱を沈静させるため、アンブレラ社はケイン少佐(トーマス・クレッチマン)を指揮官とする私設軍隊をラクーン・シティに展開、感染者の粛清と事態の収拾を図ったが、爆発的に増加する感染者に対処しきれず、シティを物理的に隔離し、新型バイオ・モンスター ネメシスの実験と、戦術核兵器によるシティの浄化と事件の隠蔽を画策する。
一方、シティ内に取り残された特殊部隊の女性隊員ジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)、アンブレラ軍隊員カルロス・オリヴィエラ(オデッド・フェール)、一般市民L.J.(マイク・エップス)、ローカル局レポーター テリ・モラレス(サンドリーヌ・ホルト)等は、シティからの脱出方法と引き換えにシティ内に残されたアンジェラ(ソフィー・ヴァヴァサー)の救出を<市外から公衆電話で接触してきた、アンジェラの父で「T−ウィルス」の開発者アシュフォード博士(ジャレッド・ハリス)に持ちかけられる。
その頃、アンブレラ社の地下研究所「ハイブ」から辛くも逃げ延びた(「バイオハザード」事件)アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、強制的に収容されていた病院で36時間の昏睡状態から目覚め、ラクーン・シティの様子が一変している事に愕然とする。
監督は撮影あがりで本作が監督デビューとなるアレクサンダー・ウィット。
第一印象としては、大変良く出来たアクション映画である、と言うものである。
おそらく本作「バイオハザードII アポカリプス」は本来、アクション・ホラーと言うジャンルにカテゴライズされるべきなのだろうが、前作「バイオハザード」で、恐怖の対象物を明確にしてしまったため、得体の知れないモノに対する恐怖の度合は少なく、ホラー的な舞台背景を利用した勢力争い的なアクション映画、と言うような印象を受けた。
まるで、「エイリアン」に対する「エイリアン2」のような感じなのである。
このコンセプトの転換は賛否あると思うが、わたしは評価したいと思うまだ。
先ず脚本についてだが、本作の脚本については評価に値する点がいくつかあると思う。
第一点目は、本作「バイオハザードII アポカリプス」の物語が、前作「バイオハザード」で語られた物語の途中から始まっている点だろう。
具体的には、「バイオハザード」事件が起きていた頃、地上では実はこんな事が起きていたんですよ、と言う構成で本作は始まるのである。本作を前作の続編として考えた場合、この構成とコンセプトは大変素晴らしい印象を与える。
このあたりは、「二つの塔」あたりと似ているかも知れない。
また、前作のダイジェストを観客に見せる手法も面白い。
平凡な脚本家ならば、「バイオハザード」のラストのカットをどう生かすか、アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)をどう活躍させるか悩むところだと思うのだが、本作では前半部分にアリスを(ほとんど)登場させない、と言う潔くも素晴らしい決断が、物語の背景や新たな登場人物を描写する時間を捻出し、それらを観客に理解させる上でも功を奏している。
同時に本作では、冒頭からのアリス登場を期待する観客に対し心憎いミス・デレクションが行われているのだが、その手法はベタでイマイチなのだが、なんとも微笑ましい印象を受けた。
更に脚本上、マスコミを上手に使っているのも良い印象を受けた。
冒頭のラクーン・シティで何が起きているのかをニュース映像のフラッシュ・バックで観客に断片的に伝えているのも好印象だし、ローカル局のレポーターであるテリ・モラレス(サンドリーヌ・ホルト)を主要キャラクターとして登場させたのも良い判断だと思う、またラスト付近では、ニュース映像を再び利用する事で、権力と財力を備えたアンブレラ社の「力」を明確に観客に伝えるあたりは只者ではない印象を受けた。
このあたりはポール・ヴァーホーヴェンの「ロボ・コップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」のような印象も受けた。
そしておそらく、本作で観客が一番怖い思いをする瞬間は、ラスト付近のニュース映像のコラージュではないだろうか。
このあたりは製作者サイドとしては、「華氏911」を逆手に取ったリアリティの付与を目的としているのではないか、と思われる。
また「ゾンビ」ファンをニヤリとさせるようなシークエンスがあったり、勿論ゲーム「バイオハザード」シリーズのファン向けのサービス的なシークエンスも多々あったのではないか、と思う。
更に、シリーズ構成を考えた場合、前作のお約束パターン(ラストの描き方等)が見事に踏襲されているのも、好印象である。
さて、アクションだか、ミラ・ジョヴォヴィッチにしろシエンナ・ギロリーにしろアクションは頑張っているのだが、カメラが被写体に近すぎてアクションが見切れない、という弊害が出ている。
アクションをこなせない俳優をキャスティングしてしまった場合、カメラを被写体に出来るだけ寄せ、細かいカット割を利用して編集でごまかし、様になっていないアクションをそれっぽく見せることが出来るのだが、本作の手法では、下手をするとそんな感じの印象を受けてしまうのが残念である。
もう少しカメラを引いてアクションを堪能させて欲しかったのだ。
キャストとしては、存在感としてはリチャード・ハリスの息子であるジャレッド・ハリスが良かった。
ところで、前作「バイオハザード」は、「ゾンビ」ファンに取っては、久々に「ゾンビ(みたいなもの)」を劇場で観ることが出来る喜びを体験させてくれたのだが、本作は「ゾンビ」テイストが薄れてしまい、アクション主体の作品になってしまっているのがちょっと残念である。
やはり個人的には、ゆらゆらした「ゾンビ」に囲まれてしまい、どうしようもない恐怖を出して欲しかったのだ。
とは言うものの、本作はホラー・アクションの娯楽作品としては誰にでもオススメできる楽しい作品に仕上がっているのは、事実なのだ。
この秋、「ヴァン・ヘルシング」を観るのなら、わたしだったら「バイオハザードII アポカリプス」を観るかも、なのだ。
さて、ミラ・ジョヴォヴィッチの舞台挨拶だが、もしかしたら酔っ払っているのでは、と思うくらいにミラはハイ・テンションだった。
サービス精神旺盛でアクションやジョークを入れ、大笑いしながらの舞台挨拶は、ミラの人柄を感じさせ、なんとも微笑ましく、こちらも楽しい気分になってしまう素敵なひと時だった。
もしかするとこの舞台挨拶でミラは、多くの日本人観客のハートを鷲掴みにしてしまったかも知れない。
余談だが、本作のエンド・クレジットにもちょっとした仕掛けがあるので、すぐには席を立たない方が良いかも知れない。
舞台挨拶は、主演のミラ・ジョヴォヴィッチ。
巨大企業アンブレラ社の拠点があるラクーン・シティでは、一般市民が、狂ったように他の一般市民を襲い、殺害する事件が頻発していた。
これはアンブレラ社が地下研究所「ハイブ」で極秘開発していた「T−ウィルス」の感染者が引き起こしたものだった。
その「T−ウィルス」の感染者は、感染後数時間で一旦は死に至るが、「T−ウィルス」の作用で活性化し、人間を食料とみなし、本能のまま人間を際限なく襲い続けるのである。
この大混乱を沈静させるため、アンブレラ社はケイン少佐(トーマス・クレッチマン)を指揮官とする私設軍隊をラクーン・シティに展開、感染者の粛清と事態の収拾を図ったが、爆発的に増加する感染者に対処しきれず、シティを物理的に隔離し、新型バイオ・モンスター ネメシスの実験と、戦術核兵器によるシティの浄化と事件の隠蔽を画策する。
一方、シティ内に取り残された特殊部隊の女性隊員ジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)、アンブレラ軍隊員カルロス・オリヴィエラ(オデッド・フェール)、一般市民L.J.(マイク・エップス)、ローカル局レポーター テリ・モラレス(サンドリーヌ・ホルト)等は、シティからの脱出方法と引き換えにシティ内に残されたアンジェラ(ソフィー・ヴァヴァサー)の救出を<市外から公衆電話で接触してきた、アンジェラの父で「T−ウィルス」の開発者アシュフォード博士(ジャレッド・ハリス)に持ちかけられる。
その頃、アンブレラ社の地下研究所「ハイブ」から辛くも逃げ延びた(「バイオハザード」事件)アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、強制的に収容されていた病院で36時間の昏睡状態から目覚め、ラクーン・シティの様子が一変している事に愕然とする。
監督は撮影あがりで本作が監督デビューとなるアレクサンダー・ウィット。
第一印象としては、大変良く出来たアクション映画である、と言うものである。
おそらく本作「バイオハザードII アポカリプス」は本来、アクション・ホラーと言うジャンルにカテゴライズされるべきなのだろうが、前作「バイオハザード」で、恐怖の対象物を明確にしてしまったため、得体の知れないモノに対する恐怖の度合は少なく、ホラー的な舞台背景を利用した勢力争い的なアクション映画、と言うような印象を受けた。
まるで、「エイリアン」に対する「エイリアン2」のような感じなのである。
このコンセプトの転換は賛否あると思うが、わたしは評価したいと思うまだ。
先ず脚本についてだが、本作の脚本については評価に値する点がいくつかあると思う。
第一点目は、本作「バイオハザードII アポカリプス」の物語が、前作「バイオハザード」で語られた物語の途中から始まっている点だろう。
具体的には、「バイオハザード」事件が起きていた頃、地上では実はこんな事が起きていたんですよ、と言う構成で本作は始まるのである。本作を前作の続編として考えた場合、この構成とコンセプトは大変素晴らしい印象を与える。
このあたりは、「二つの塔」あたりと似ているかも知れない。
また、前作のダイジェストを観客に見せる手法も面白い。
平凡な脚本家ならば、「バイオハザード」のラストのカットをどう生かすか、アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)をどう活躍させるか悩むところだと思うのだが、本作では前半部分にアリスを(ほとんど)登場させない、と言う潔くも素晴らしい決断が、物語の背景や新たな登場人物を描写する時間を捻出し、それらを観客に理解させる上でも功を奏している。
同時に本作では、冒頭からのアリス登場を期待する観客に対し心憎いミス・デレクションが行われているのだが、その手法はベタでイマイチなのだが、なんとも微笑ましい印象を受けた。
更に脚本上、マスコミを上手に使っているのも良い印象を受けた。
冒頭のラクーン・シティで何が起きているのかをニュース映像のフラッシュ・バックで観客に断片的に伝えているのも好印象だし、ローカル局のレポーターであるテリ・モラレス(サンドリーヌ・ホルト)を主要キャラクターとして登場させたのも良い判断だと思う、またラスト付近では、ニュース映像を再び利用する事で、権力と財力を備えたアンブレラ社の「力」を明確に観客に伝えるあたりは只者ではない印象を受けた。
このあたりはポール・ヴァーホーヴェンの「ロボ・コップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」のような印象も受けた。
そしておそらく、本作で観客が一番怖い思いをする瞬間は、ラスト付近のニュース映像のコラージュではないだろうか。
このあたりは製作者サイドとしては、「華氏911」を逆手に取ったリアリティの付与を目的としているのではないか、と思われる。
また「ゾンビ」ファンをニヤリとさせるようなシークエンスがあったり、勿論ゲーム「バイオハザード」シリーズのファン向けのサービス的なシークエンスも多々あったのではないか、と思う。
更に、シリーズ構成を考えた場合、前作のお約束パターン(ラストの描き方等)が見事に踏襲されているのも、好印象である。
さて、アクションだか、ミラ・ジョヴォヴィッチにしろシエンナ・ギロリーにしろアクションは頑張っているのだが、カメラが被写体に近すぎてアクションが見切れない、という弊害が出ている。
アクションをこなせない俳優をキャスティングしてしまった場合、カメラを被写体に出来るだけ寄せ、細かいカット割を利用して編集でごまかし、様になっていないアクションをそれっぽく見せることが出来るのだが、本作の手法では、下手をするとそんな感じの印象を受けてしまうのが残念である。
もう少しカメラを引いてアクションを堪能させて欲しかったのだ。
キャストとしては、存在感としてはリチャード・ハリスの息子であるジャレッド・ハリスが良かった。
ところで、前作「バイオハザード」は、「ゾンビ」ファンに取っては、久々に「ゾンビ(みたいなもの)」を劇場で観ることが出来る喜びを体験させてくれたのだが、本作は「ゾンビ」テイストが薄れてしまい、アクション主体の作品になってしまっているのがちょっと残念である。
やはり個人的には、ゆらゆらした「ゾンビ」に囲まれてしまい、どうしようもない恐怖を出して欲しかったのだ。
とは言うものの、本作はホラー・アクションの娯楽作品としては誰にでもオススメできる楽しい作品に仕上がっているのは、事実なのだ。
この秋、「ヴァン・ヘルシング」を観るのなら、わたしだったら「バイオハザードII アポカリプス」を観るかも、なのだ。
さて、ミラ・ジョヴォヴィッチの舞台挨拶だが、もしかしたら酔っ払っているのでは、と思うくらいにミラはハイ・テンションだった。
サービス精神旺盛でアクションやジョークを入れ、大笑いしながらの舞台挨拶は、ミラの人柄を感じさせ、なんとも微笑ましく、こちらも楽しい気分になってしまう素敵なひと時だった。
もしかするとこの舞台挨拶でミラは、多くの日本人観客のハートを鷲掴みにしてしまったかも知れない。
余談だが、本作のエンド・クレジットにもちょっとした仕掛けがあるので、すぐには席を立たない方が良いかも知れない。
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