「独裁者」と言う傑作がある。
一言で「傑作」と言うのは簡単だが、本作は最早「傑作」と言う言葉自体が陳腐化してしまうほどの素晴らしい作品である。とわたしは思っている。
 
監督:チャールズ・チャップリン
製作:チャールズ・チャップリン
脚本:チャールズ・チャップリン
撮影:カール・ストラス、ロリー・トザロー
音楽:メレディス・ウィルソン
出演:チャールズ・チャップリン、ジャック・オーキー、ポーレット・ゴダード、チェスター・コンクリン
 
チャップリンが製作した「キッド」以降の長編作品の多くは、一貫して市井に生きる人々の人情味溢れる生活を切り取り、その中で巻き起こる笑いやペーソスをエモーショナルに描いていたのだが、それ以外の作品には、社会や政治を風刺し批判する作品が少なくない。

例えば、「モダン・タイムス」ではエスカレートする資本主義社会と崩壊する人間性を鋭く描き、続く「独裁者」ではヒトラーのナチス・ドイツ政権を痛烈に批判し、笑いものにしている。
そして更に「殺人狂時代」においては連続保険金殺人を描きつつ、実は国家間の戦争による大義の名の下の大量殺人を強烈に批判しているのだ。

このあたりは、次の有名なセリフが雄弁に物語っている。
「ひとり殺せば殺人者。百万殺せば英雄。その数が殺人を正当化するのです」
(「殺人狂時代」より)

そして「独裁者」だが、おそらく多くの皆さんもご存知のように、チャップリンがヒトラーとナチス・ドイツを強烈に皮肉ったブラック・コメディと位置付けられている。
しかし、この作品は所謂ブラック・コメディの範疇に留まらず、その時代的背景と環境を考えた場合、明らかなチャップリンの政治的目的意識を持った孤高の作品である、と言えるのではないだろうか。

事実、「独裁者」の批判精神は、ヒトラーとナチス・ドイツの台頭と言う、その時代が置かれている状況から考えると、正に常軌を逸しており、下手をすると命にかかわりかねない危険な作品だ、と言っても差支えはない程苛烈なものなのだ。

しかしなんと言ってもおどろくべき事は、この「独裁者」が北米で公開された1940年10月は、ご承知のように、1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻に端を発する、第二次世界大戦の真っ只中であり、更に驚くべき事は、この映画の製作開始時期は、ポーランド侵攻のなんと前年の1938年であった、と言うところだろう。

1938年当時、アメリカがドイツとまだ友好的だった時代、アメリカの中にもヒトラー擁護者や援助者ががいた時代、そんな時代にいながらも、チャップリンの目には、ヒトラーが「とてつもなくヤバイ」存在に映っていた訳なのだ。

そして「独裁者」の中のチャップリンは文字通りキレにキレまくっている。
映画史に残るであろう地球儀と戯れるシークエンスは勿論、これまた映画史に残る例の演説のシークエンスでは、彼の動きを見ているだけで、彼の声を聞いているだけで、その孤高な意図を感じるだけで涙が止まらないのだ。

しかし、そのヒトラーに対する攻撃的な姿は、コメディを通り越し壮絶な滑稽さまで達し、当時のマスコミに随分と叩かれ、その批判の矛先は、映画だけではなくチャップリン本人にも及び、その結果チャップリンはアメリカからの退去を余儀なくされてしまうのである。

その後、チャップリンが「独裁者」を通じて世界に指し示した政治的ベクトルとは裏腹に、ヒトラーの台頭が続き、全世界にとって悲しい時代が続いたのは、皆さんご承知の通りであろう。
 
  
そして2004年、マイケル・ムーアの「華氏911」が公開される訳である。
おそらく、誰の目にも「独裁者」と「華氏911」が置かれている背景が符合しているのが見て取れるだろう。
 
「独裁者」が置かれていた背景を端的に表すと次のようなものになるだろう。

1.ヒトラー及びドイツをアメリカの富裕層や実力者たちが援助し擁護していた。
2.ヒトラーとナチス・ドイツの台頭はチャップリンの目には「とてつもなくヤバイ」と映った。
3.チャップリンは「独裁者」を製作し、ヒトラーとナチス・ドイツの台頭を阻止しようとした。

それでは、「華氏911」が置かれている環境はどうであろうか。(「華氏911」の主張をわかりやすくしたもの)

1.サウジ王族ビン・ラディンファミリーとブッシュ一族は以前から友好的な関係を結び、利害関係も一致していた。
2.ブッシュ政権は、911同時多発テロの可能性を事前に知りながら、故意にテロ防止策を取らなかった。
3.ブッシュ政権は、自らの書いたシナリオ通り、911同時多発テロの首謀者はイラク(フセイン政権)が資金援助を行っているアルカイダだとし、またイラクは大量破壊兵器を極秘裏に開発していると断定、フセイン政権を打倒するべくイラク侵攻を開始した。
4.フセイン政権は倒れたが、現在までイラク国内に大量破壊兵器の存在は認められない。
5.ブッシュの存在はマイケル・ムーアにとって「とてつもなくヤバイ」と映った。
6.マイケル・ムーアは「華氏911」を製作し、ブッシュ政権の打倒と、ブッシュの再選を阻止しようとした。
 
 
勿論お分かりの事と思うが、わたしはブッシュがヒトラーである、と言っている訳ではない。
 
わたしが言いたいのは、二人の男が「とてつもなくヤバイ」男を止めるためにそれぞれ一本ずつ二本の映画を作った。ということである。
その一本の映画の結果、一人の男の目的は果たされたが、残念ながらその目的が達成されるのがあまりにも遅すぎたのだ。

そして、気になるのは、もう一本の映画、もう一人の男の目的は果たされるのであろうか。と言う事なのだ。

果たして、映画という虚構が、映画という芸術が、映画という娯楽が、現実の世界を動かす事が出来るのだろうか、チャールズ・チャップリンが1940年に果たせなかったことが、2004年のマイケル・ムーアに果たせるのか、わたしは多くの関心を持って今後の成行きに注目していきたいと考えるのだ。
  
そして、わたしは「孤高な映像作家のペンが、果たしてとてつもなく大きな財力と権力の下にある剣より強いかどうか」が知りたくてたまらない、と思うのだ。
 
 
「華氏911」
http://diarynote.jp/d/29346/20040816.html
「ミスティック・リバー」と「華氏911」を考える
http://diarynote.jp/d/29346/20040822.html

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