2004/08/13 東京有楽町「日劇1」で「スパイダーマン2」を観た。

グリーン・ゴブリン事件(「スパイダーマン」)から2年、ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)はJ・ジョナ・ジェイムソン(J・K・シモンズ)が編集長を務める新聞社へ写真を売り込みながら大学生活を送る一方、スパイダーマンとしても活躍していた。

しかし、ピーターが愛するメリー・ジェーン・ワトソン(キルステン・ダンスト)は念願の舞台女優になったこともあり、公私共に多忙なピーターとの間に少しずつ距離ができていった。

また親友のハリー・オズボーン(ジェームズ・フランコ)は亡き父ノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)が残した巨大軍需企業オズコープ社を継ぎ、父の仇スパイダーマンに復讐するため情報を集めていた。

そんな時、ハリーの会社で研究を続けていたDr.オットー・オクタビアス(アルフレッド・モリナ)が常温核融合の実験中の事故で4本の金属製人工アームを持つ怪人ドック・オクになってしまった・・・・。

 
第一印象としては、非常に良く出来た三部作の中編、と言った印象を受けた。

前作「スパイダーマン」ではヒーローの誕生が描かれていた、とすると本作はヒーローの挫折と転機、そして新たな決意が見事に描かれているのだ。

シリーズ構成を考えると本作は「転」の部分にあたり、例をあげれば「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」的な味わいがある。
事実ノーマンとハリーの鏡のシークエンスは「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」のベイダー卿がルークとの関係を明らかにする部分のオマージュであろう。

 
本編だが先ずオープニング・クレジットが素晴らしい。
マーベル社のロゴからのフラッシュ・アニメーション系のクレジットに見え隠れする前作「スパイダーマン」の印象的なシーンをストーリーボード風イラストで見せるあたりは、昨今のオープニングの中でも評価できる素晴らしいものであった。
しかも、そのイラスト1枚1枚が完全に「絵」になっており、書斎の壁にでも飾りたい程のクオリティを持っているのだ。

そして、本作を語る上ではずせないのは、何と言っても敵役ドック・オクを演じたアルフレッド・モリナであろう。

従来、多くのアメコミ・ヒーローの映画化作品の敵役を演じた俳優は、ヒーローを演じる俳優よりネーム・バリューがあり、俳優としても格上であることが常識である感があったが、本作はそれを行わず存在感や演技でアルフレッド・モリナをキャスティングした(であろう)点に好感が持てる。
ともすれば役不足、という一言で片付けられてしまう可能性があった訳なのだが、アルフレッド・モリナは複数の面を持つ、複雑なキャラクターを好演している。

余談だがかつてのヒーローの敵役を演じた俳優を思いつくまま紹介しましょう。

ジーン・ハックマン(レックス・ルーサー/「スーパーマン」)
テレンス・スタンプ(ゾッド将軍/「スーパーマン」)
ジャック・ニコルソン(ジョーカー/「バットマン」)
ダニー・デヴィート(ペンギン/「バットマン・リターンズ」)
ミシェル・ファイファー(キャット・ウーマン/「バットマン・リターンズ」)
クリストファー・ウォーケン(マックス・シュレック/「バットマン・リターンズ」)・・・・

先ほど本作「スパイダーマン2」はシリーズ構成を考えた場合「転」にあたり、挫折と転機、そして決意が描かれていると言ったばかりだが、同時にヒーローの「受難」をも描いているとも言える。

大学の難、バイトの難、借家の難、借金の難、能力不振の難、友情難、恋愛難等、様々な難をピーターは受けるのである。

また列車を止めるシークエンスからこの「受難」は救世主の「受難」のメタファーとして存在していることが明示されている。
列車のシークエンスは、万人の罪を背負って磔刑にされたキリストの死と復活のメタファーなのである。

そして復活したピーターは救世主として生きることを選択する訳なのだ。

 
あとは、コメディ・パートが増えたところが興味深い。
前作「スパイダーマン」への観客の支持と興収がそうさせたのか、サム・ライミの演出は前作のような、恐る恐ると言ったような迷いが無く、縦横無尽に好き勝手に演出しているようである。

例えば、ピザの宅配シークエンスからのモップとの格闘や、能力不振からのエレベータのシークエンス等は、ひとごとながら監督サム・ライミの演出手腕の無さを、若しくは編集意図の不明確さを、わざわざ観客に見せ付けているのではないか、と心配してしまう位微妙にカットが長いのだ。そのカットの空白の間に驚きなのだ。

またドック・オクの手術のシークエンスではかつてのサム・ライミの傑作シリーズである「死霊のはらわた」シリーズを髣髴とさせる笑いのツボが散りばめられているし、スパイダー・ウェブが出ないシーンが意図する事は勿論フロイト的にも男性能力の低下なのだ。

ところでピーターが写真を売るタブロイド誌の編集長をステレオタイプ的に演じコメディ・リリーフの役柄を引き受けたJ・K・シモンズだが、勿論普通に面白いのだが、ピーターのコメディ・リリーフとしての使い方が多い反面、結果的に美味しいところを持っていかれた残念な結果に終わっているようだ。

そしてなんと言っても爆笑のツボは、ヒーローを捨てたピーターの学生生活をバート・バカラックの "Raindrops Keep Falling On My Head" に合わせて楽しげに演技するトビー・マグワイアには頭を抱えてしまうし、ラストのカットの「止め絵」に至っては、もう抱腹絶倒モノなのだ。

またこの度、サム・ライミはお笑いだけではなくエモーショナルなシークエンスの演出もソツ無くこなしている。
例の列車のシークエンスのラストの少年達の名セリフの直前のカットはもたつきがあるものの、倒れこむピーターを支える乗客の手と、その手から手へピーターが(十字架の形で)運ばれる様は感動的ですらある。
前述のように若干もたつきはあるが少年達のセリフには感涙である。

また、ドック・オクの改心(これもキリストに触れ改心する使途パウロ等の暗喩であろう)のシークエンスも素晴らしい。

更にベン・パーカー(ベンおじさん/クリフ・ロバートソン)との前作のシークエンスの延長や、メイ・パーカー(メイおばさん/ローズマリー・ハリス)との絡みも泣かせるのだ。 

あと驚いたのは、前作で亡くなったウィレム・デフォーやクリフ・ロバートソンの登場カットを別撮りしている点にも好感が持てた。
このような事はハリウッド・システムではなかなか出来ないことなのである。

ジェームズ・フランコも役者として、なかなか見られるようになり、キルステン・ダンストと共に、他の作品で活躍し始めたのも嬉しいものである。

しかし、なんと言ってもこれだけ内容が濃い作品を127分に破綻無くまとめるサム・ライミの手腕は見事だと思うのだ。

まあ少なくても、ヒットする理由がある作品だと思うし、スコープ・サイズでのスケール感のあるビル・ポープの撮影や、ダニー・エルフマンの音楽とも相まって、素晴らしい映像体験が楽しめる作品に仕上がっている。

余談だが、ピーターがタブロイド誌に持ち込む写真は、かつて無名時代のスタンリー・キューブリックが雑誌社に持ち込んでいた写真とかぶり、ある種のオマージュとなっているのかも知れない。

☆☆☆★(☆=1.0 ★=0.5 MAX=5.0)

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