「丹下左膳 百万両の壺」
2004年7月14日 映画
2004/07/13 東京新橋ヤクルトホールで実施された「丹下左膳 百万両の壺」の試写会に行って来た。
<− 画像は1935年のオリジナル版「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」
右目と右腕を失い侍として生きる道を捨てた男、丹下左膳(豊川悦司)。
今は縁あって、勝ち気なお藤(和久井映見)の夫となり、お藤が切り盛りする矢場の用心棒として暮らしていた。
その頃、柳生の里では藩主、柳生対馬守(金田明夫)が、幕府に押し付けられた寺社再建の資金の工面に難儀していた。
しかし、柳生家先祖伝来の「こけ猿の壺」に百万両もの莫大な軍資金の隠し場所が塗り込まれていると聞き及び、大喜びするも、その壺は江戸へ婿養子に行った弟、源三郎(野村宏伸)に婿入りの祝いの品として既に贈ってしまっていたのだ。
そんな「こけ猿の壺」のいわくを知らない源三郎の妻、萩乃(麻生久美子)は、見た目が汚い「こけ猿の壺」を通りかかった回収屋(かつみ・さゆり)に売り払ってしまう。
そして「こけ猿の壺」は、その回収屋の手から5歳の少年、ちょび安(武井証)のもとへ転がり込み、ちょび安は、その「こけ猿の壺」をあろうことか金魚鉢として使いはじめたのだ。
しかしその夜、ちょび安の唯一の肉親である祖父、弥平(坂本長利)が、昼間お藤の矢場で因縁をつけてきた侍たちが左膳に襲い掛かり、巻き込まれた弥平は左膳に孫を頼むと言い残し、そのまま息を引き取ってしまう。
口では子供が大嫌いと断言するお藤だったが、左膳に押し切られる形で、ちょび安を「こけ猿の壺」ごと引きとり、面倒をみる事になったのだが・・・・・。
本作「丹下左膳 百万両の壺」は、個人的に若干気に入らないところがあるものの、それに目を瞑れば大変素晴らしい江戸人情喜劇に仕上がっている。
わたしは、丹下左膳と言うイメージから、粋でいなせで格好良い、痛快時代劇を期待していたのだが、痛快な部分はそれ程多い訳では無く、どちらかと言うと、江戸の市井に生きる真っ当な人々が織りなす、前述のように人情喜劇的な作品に思えた。
雰囲気は黒澤明の「椿三十郎」ミート「浮浪雲(ジョージ秋山の漫画)」という感じだろうか。
ところで、この映画の一番の見所はなんと言っても、左膳(豊川悦司)とお藤(和久井映見)の歯に衣着せぬやり取りであろう。
左膳とお藤のキャラクターは、頑固で照れ屋で意地っ張りで、口は悪いが根は優しい、そんな江戸っ子気質を見事に体現しているのだ。
特に和久井映見が演じたお藤のキャラクター造形は、和久井映見の気風の良い演技と相まって素晴らしいものがある。
尤もこれは、もしかすると俳優の力と言うより、脚本のなせる業なのかも知れないが。
そもそも本作の脚本は、この映画のオリジナル版である山中貞雄の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の脚本(三村伸太郎)をベースに今回、江戸木純が書き上げたものである。
江戸木純が凄いのか、はたまた三村伸太郎が凄いのかは定かではないが、とにかく本作は登場する全てのキャラクターが生き生きと息づいている素晴らしい作品だと思うのだ。
しかしながら物語のプロットはベタで安易で特に捻りも無く、展開は誰の目にも想像に難くないのだが、そのある意味予定調和的な安心感が、ほのぼのとしながらも懸命に生きる江戸市井の町人たちの生き様に、見事にマッチした素敵な物語に思えるのだ。
また、のほほんとした婿養子源三郎(野村宏伸)とその強気な妻、萩乃(麻生久美子)のやり取りも面白い。
さて、わたしが気に入らないところだが、先ずは不必要なSE(効果音)が入っているという点である。
例えば置物の猫である。
左膳とお藤が対立し舌戦を繰り広げるシークエンスで、左膳とお藤が何度か猫の置物の向きを変えるのであるが、その都度その都度、猫の鳴き声のSEが入っているのだ。
また、何か物を叩く際、または登場人物が何か意味ありげな行動を取る際、作品のスタイルとミス・マッチな妙なSEが入れられているのだ。
これは映画に対する感情移入を阻害するひとつの要因と考えられるのではないだろうか。
また、音楽についてだが、メインタイトル等にフィーチャーされているメインの楽器がピアノである、と言うのもいただけない。
折角物語の中で、お藤は三味線が得意で唄も歌うのだから、音楽の方向性として和楽器をフィーチャーしたスコアでサントラを構成して欲しいと思った。
あとは若干殺陣がまずいかも知れない。
右手が無い左膳と刺客らの立ち回りは、やはり難しいのかも知れない。
最近のアジアの作品のような、美しい殺陣に仕上げようとしているのは見て取れるのだが、残念ながら若干の違和感が感じられた。
余談だが、「ラストサムライ」でいきなりメジャーになった感のある福本清三も勿論斬られ役で本作に登場していた。
あと気になったのは、漫才コンビかつみ・さゆり演じる回収屋の登場するカットが無駄に長いし、無駄なお笑いがある。
いくらなんでも、セリフは無いものの、ポヨヨ〜ンはまずいだろう。
世の中には、その映画の事を思い出す度に、口元に笑みがこぼれ、幸せな気持ちに浸れる、と言う幸福な映画がたまにあるが、本作「丹下左膳 百万両の壺」は、正しくそんな映画の一本である、と言えるのだ。
今年は比較的日本映画に勢いがあり、良い作品が何本もあるが、本作「丹下左膳 百万両の壺」はそれらの今年の良い作品の一本として胸を張ってオススメできる素敵な作品なのだ。
是非劇場に足を運んでいただき、左膳とお藤の素敵な口喧嘩を楽しんで欲しいのだ。
<− 画像は1935年のオリジナル版「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」
右目と右腕を失い侍として生きる道を捨てた男、丹下左膳(豊川悦司)。
今は縁あって、勝ち気なお藤(和久井映見)の夫となり、お藤が切り盛りする矢場の用心棒として暮らしていた。
その頃、柳生の里では藩主、柳生対馬守(金田明夫)が、幕府に押し付けられた寺社再建の資金の工面に難儀していた。
しかし、柳生家先祖伝来の「こけ猿の壺」に百万両もの莫大な軍資金の隠し場所が塗り込まれていると聞き及び、大喜びするも、その壺は江戸へ婿養子に行った弟、源三郎(野村宏伸)に婿入りの祝いの品として既に贈ってしまっていたのだ。
そんな「こけ猿の壺」のいわくを知らない源三郎の妻、萩乃(麻生久美子)は、見た目が汚い「こけ猿の壺」を通りかかった回収屋(かつみ・さゆり)に売り払ってしまう。
そして「こけ猿の壺」は、その回収屋の手から5歳の少年、ちょび安(武井証)のもとへ転がり込み、ちょび安は、その「こけ猿の壺」をあろうことか金魚鉢として使いはじめたのだ。
しかしその夜、ちょび安の唯一の肉親である祖父、弥平(坂本長利)が、昼間お藤の矢場で因縁をつけてきた侍たちが左膳に襲い掛かり、巻き込まれた弥平は左膳に孫を頼むと言い残し、そのまま息を引き取ってしまう。
口では子供が大嫌いと断言するお藤だったが、左膳に押し切られる形で、ちょび安を「こけ猿の壺」ごと引きとり、面倒をみる事になったのだが・・・・・。
本作「丹下左膳 百万両の壺」は、個人的に若干気に入らないところがあるものの、それに目を瞑れば大変素晴らしい江戸人情喜劇に仕上がっている。
わたしは、丹下左膳と言うイメージから、粋でいなせで格好良い、痛快時代劇を期待していたのだが、痛快な部分はそれ程多い訳では無く、どちらかと言うと、江戸の市井に生きる真っ当な人々が織りなす、前述のように人情喜劇的な作品に思えた。
雰囲気は黒澤明の「椿三十郎」ミート「浮浪雲(ジョージ秋山の漫画)」という感じだろうか。
ところで、この映画の一番の見所はなんと言っても、左膳(豊川悦司)とお藤(和久井映見)の歯に衣着せぬやり取りであろう。
左膳とお藤のキャラクターは、頑固で照れ屋で意地っ張りで、口は悪いが根は優しい、そんな江戸っ子気質を見事に体現しているのだ。
特に和久井映見が演じたお藤のキャラクター造形は、和久井映見の気風の良い演技と相まって素晴らしいものがある。
尤もこれは、もしかすると俳優の力と言うより、脚本のなせる業なのかも知れないが。
そもそも本作の脚本は、この映画のオリジナル版である山中貞雄の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」の脚本(三村伸太郎)をベースに今回、江戸木純が書き上げたものである。
江戸木純が凄いのか、はたまた三村伸太郎が凄いのかは定かではないが、とにかく本作は登場する全てのキャラクターが生き生きと息づいている素晴らしい作品だと思うのだ。
しかしながら物語のプロットはベタで安易で特に捻りも無く、展開は誰の目にも想像に難くないのだが、そのある意味予定調和的な安心感が、ほのぼのとしながらも懸命に生きる江戸市井の町人たちの生き様に、見事にマッチした素敵な物語に思えるのだ。
また、のほほんとした婿養子源三郎(野村宏伸)とその強気な妻、萩乃(麻生久美子)のやり取りも面白い。
さて、わたしが気に入らないところだが、先ずは不必要なSE(効果音)が入っているという点である。
例えば置物の猫である。
左膳とお藤が対立し舌戦を繰り広げるシークエンスで、左膳とお藤が何度か猫の置物の向きを変えるのであるが、その都度その都度、猫の鳴き声のSEが入っているのだ。
また、何か物を叩く際、または登場人物が何か意味ありげな行動を取る際、作品のスタイルとミス・マッチな妙なSEが入れられているのだ。
これは映画に対する感情移入を阻害するひとつの要因と考えられるのではないだろうか。
また、音楽についてだが、メインタイトル等にフィーチャーされているメインの楽器がピアノである、と言うのもいただけない。
折角物語の中で、お藤は三味線が得意で唄も歌うのだから、音楽の方向性として和楽器をフィーチャーしたスコアでサントラを構成して欲しいと思った。
あとは若干殺陣がまずいかも知れない。
右手が無い左膳と刺客らの立ち回りは、やはり難しいのかも知れない。
最近のアジアの作品のような、美しい殺陣に仕上げようとしているのは見て取れるのだが、残念ながら若干の違和感が感じられた。
余談だが、「ラストサムライ」でいきなりメジャーになった感のある福本清三も勿論斬られ役で本作に登場していた。
あと気になったのは、漫才コンビかつみ・さゆり演じる回収屋の登場するカットが無駄に長いし、無駄なお笑いがある。
いくらなんでも、セリフは無いものの、ポヨヨ〜ンはまずいだろう。
世の中には、その映画の事を思い出す度に、口元に笑みがこぼれ、幸せな気持ちに浸れる、と言う幸福な映画がたまにあるが、本作「丹下左膳 百万両の壺」は、正しくそんな映画の一本である、と言えるのだ。
今年は比較的日本映画に勢いがあり、良い作品が何本もあるが、本作「丹下左膳 百万両の壺」はそれらの今年の良い作品の一本として胸を張ってオススメできる素敵な作品なのだ。
是非劇場に足を運んでいただき、左膳とお藤の素敵な口喧嘩を楽しんで欲しいのだ。
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