「バレエ・カンパニー」
2004年7月12日 映画
2004/07/12 東京九段下 九段会館大ホールで行われたロバート・アルトマンの新作「バレエ・カンパニー」の試写会に行ってきた。
本作はシカゴに本拠地を置く実在の名門バレエ・カンパニー「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」を舞台に、天才的演出家による新作バレエの創出を縦軸に、バレエ・ダンサーの群像劇を横軸にしたドキュメンタリー・タッチの作品である。
本作の作風は、先ずバレエ作品のリハーサル風景を描き、その直後のシーンでリハーサルを行っていたバレエ作品が上演されているシーンを見せる、という形式の繰り返しとなっている。
そして、そのリハーサル場面では、認められない新人バレエ・ダンサー、カンパニー側と演出家の確執、大御所ダンサーと演出家の確執、大御所ダンサーの事故による失脚、大御所ダンサーの失脚に伴う若手ダンサーの登用等様々な出来事のディテールが詳細に描かれている。
リハーサル・シーンも素晴らしいのだが、それと対をなすバレエ上演シーンも大変素晴らしい。
勿論本職のバレエ・ダンサーが演じている訳だから素晴らしいのはあたり前なのだが、彼等バレエ・ダンサーはわたし達人類がどう足掻いても逃れられない重力から、いとも軽々と解き放たれ、また筋力を総動員した極限的動作の素晴らしさは例えようも無い。
そういった観点から考えると、本作「バレエ・カンパニー」はある種アクション映画である、と言っても全く差支えは無いのではないだろうか。
例えば市川崑の「東京オリンピック」やクロード・ルルーシュの「白い恋人たち/グルノーブルの13日」と言った、人間が動いているだけの映像と音楽で、観客に滂沱の感動を与える作品に近い印象を受けた。
同様の感慨は「グリーン・デスティニー」の冒頭のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーの空中戦的ワイヤー・アクションのシークエンスでも感じられ、彼女等の追跡劇を見ているだけで滂沱状態に陥ってしまうのだが、本作「バレエ・カンパニー」では、「グリーン・デスティニー」の必要条件として存在するワイヤー・アクション無しで空中を舞うバレエ・ダンサーの姿に驚愕的滂沱状態なのだ。
ついでだが、「リトル・ダンサー」のラストのたったひとつの跳躍にも感涙ものなのだ。
さて、キャストだが、なんと言っても主演ライ役のネイヴ・キャンベルには驚かされた。
何しろ、本作の原案はネイヴ・キャンベルのもので、実際のバレエ・ダンサーを目指していた彼女は、スタンド・イン無しにバレエ・ダンサー役を見事に演じきっていた。
と言うより、バレエ・シーンをあれほどまでにこなせる俳優の存在に驚きなのだ。
さて、わたしが敬愛してやまないマルコム・マクダウェルは、「バレエ・カンパニー」の総監督(?)Mr.Aことアルベルト・アントネリを好演していた。
ロバート・アルトマンとのコラボレーションと言えば「ザ・プレイヤー」のカメオがあるが、本作ではおそらくその関係でのキャスティングになったのではないだろうか。
マルコム・マクダウェル的には、ここ近年の代表作になったのではないかと思う。
あとは最近「スパイダーマン」シリーズで有名なジェームズ・フランコも目立たないながらも好演している。
わたしは当初、ジェームズ・フランコはバレエ・ダンサー役として出演していると思っていたのだが、実際は踊らない役だったので、個人的には安心した。
ところで、本作は、バレエ上演のシークエンスを楽しめるかどうかで評価が対極的に変わってくる、所謂観客を選ぶ作品になっているのではないだろうか。
つまり本作の評価の分岐点としてバレエ上演シークエンスが機能しているのだ。
そのバレエ上演シーンを楽しめれば、この映画は素晴らしい作品となるだろうし、もしそのバレエ上演シーンが楽しめなければ、本作は退屈で、ほとんどドラマが起きない平凡な映画の印象を観客に与えるかもしれないのだ。
しかしながら本作は、人類が創出した最高の芸術形態のひとつである「バレエ」に対する一般大衆の「敷居が高い、わかりずらい、高尚だ」というような誤った先入観を打破する力を持った作品である事は事実なのである。
バレエに対して変な先入観を持つ人達にも、是非「バレエ・カンパニー」に足を運んでもらいたいのだ。
本作はシカゴに本拠地を置く実在の名門バレエ・カンパニー「ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴ」を舞台に、天才的演出家による新作バレエの創出を縦軸に、バレエ・ダンサーの群像劇を横軸にしたドキュメンタリー・タッチの作品である。
本作の作風は、先ずバレエ作品のリハーサル風景を描き、その直後のシーンでリハーサルを行っていたバレエ作品が上演されているシーンを見せる、という形式の繰り返しとなっている。
そして、そのリハーサル場面では、認められない新人バレエ・ダンサー、カンパニー側と演出家の確執、大御所ダンサーと演出家の確執、大御所ダンサーの事故による失脚、大御所ダンサーの失脚に伴う若手ダンサーの登用等様々な出来事のディテールが詳細に描かれている。
リハーサル・シーンも素晴らしいのだが、それと対をなすバレエ上演シーンも大変素晴らしい。
勿論本職のバレエ・ダンサーが演じている訳だから素晴らしいのはあたり前なのだが、彼等バレエ・ダンサーはわたし達人類がどう足掻いても逃れられない重力から、いとも軽々と解き放たれ、また筋力を総動員した極限的動作の素晴らしさは例えようも無い。
そういった観点から考えると、本作「バレエ・カンパニー」はある種アクション映画である、と言っても全く差支えは無いのではないだろうか。
例えば市川崑の「東京オリンピック」やクロード・ルルーシュの「白い恋人たち/グルノーブルの13日」と言った、人間が動いているだけの映像と音楽で、観客に滂沱の感動を与える作品に近い印象を受けた。
同様の感慨は「グリーン・デスティニー」の冒頭のミシェール・ヨーとチャン・ツィイーの空中戦的ワイヤー・アクションのシークエンスでも感じられ、彼女等の追跡劇を見ているだけで滂沱状態に陥ってしまうのだが、本作「バレエ・カンパニー」では、「グリーン・デスティニー」の必要条件として存在するワイヤー・アクション無しで空中を舞うバレエ・ダンサーの姿に驚愕的滂沱状態なのだ。
ついでだが、「リトル・ダンサー」のラストのたったひとつの跳躍にも感涙ものなのだ。
さて、キャストだが、なんと言っても主演ライ役のネイヴ・キャンベルには驚かされた。
何しろ、本作の原案はネイヴ・キャンベルのもので、実際のバレエ・ダンサーを目指していた彼女は、スタンド・イン無しにバレエ・ダンサー役を見事に演じきっていた。
と言うより、バレエ・シーンをあれほどまでにこなせる俳優の存在に驚きなのだ。
さて、わたしが敬愛してやまないマルコム・マクダウェルは、「バレエ・カンパニー」の総監督(?)Mr.Aことアルベルト・アントネリを好演していた。
ロバート・アルトマンとのコラボレーションと言えば「ザ・プレイヤー」のカメオがあるが、本作ではおそらくその関係でのキャスティングになったのではないだろうか。
マルコム・マクダウェル的には、ここ近年の代表作になったのではないかと思う。
あとは最近「スパイダーマン」シリーズで有名なジェームズ・フランコも目立たないながらも好演している。
わたしは当初、ジェームズ・フランコはバレエ・ダンサー役として出演していると思っていたのだが、実際は踊らない役だったので、個人的には安心した。
ところで、本作は、バレエ上演のシークエンスを楽しめるかどうかで評価が対極的に変わってくる、所謂観客を選ぶ作品になっているのではないだろうか。
つまり本作の評価の分岐点としてバレエ上演シークエンスが機能しているのだ。
そのバレエ上演シーンを楽しめれば、この映画は素晴らしい作品となるだろうし、もしそのバレエ上演シーンが楽しめなければ、本作は退屈で、ほとんどドラマが起きない平凡な映画の印象を観客に与えるかもしれないのだ。
しかしながら本作は、人類が創出した最高の芸術形態のひとつである「バレエ」に対する一般大衆の「敷居が高い、わかりずらい、高尚だ」というような誤った先入観を打破する力を持った作品である事は事実なのである。
バレエに対して変な先入観を持つ人達にも、是非「バレエ・カンパニー」に足を運んでもらいたいのだ。
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