2004/06/17の「ブラザーフッド」の試写会は、ウォンビンとチャン・ドンゴン等の舞台挨拶があったのだが、わたしは諸般の事情で、2004/06/17ではなく、2004/06/16の試写会に行くことになってしまった。勿論、2004/06/16の試写会は舞台挨拶は無しなのだ。残念だ。
1950年、韓国ソウル。
兄ジンテ(チャン・ドンゴン)は靴磨きで一家の家計を支え、恋人ヨンシン(イ・ウンジュ)との結婚と、弟ジンソク(ウォンビン)の大学進学のためにと苦しいながらも充実した日々を送っていた。
一方世間知らずの弟ジンソクも頼もしく優しい兄に守られて、何不自由ない生活を送っていた。
しかし6月25日、事態は一変する。朝鮮戦争が勃発したのだ。混乱の中、ジンソクが軍人に強制的に徴兵されてしまったことから、ジンテも慌てて後を追う。
兄ジンテは、自ら危険な任務につき武功をあげ、勲章を貰ってその恩寵で、弟を戦地から遠ざけようと考えるのだった・・・・。
まず英語のタイトルの"brotherhood"と言う言葉であるが、"-hood"は「だった頃」というような意味を持つ言葉である。
"brotherhood"を直訳すると「兄弟だった頃」という意味にも取れるのだ。
そして論を進めると本作「ブラザーフッド」は、"brotherhood"と言うタイトルから、以前は兄弟関係だったが、現在は何らかの理由で「兄弟では無くなった」兄弟の物語である、と言うことが読み取れる。
まず映画を見て驚いたのは、空の色と言うか光の色がアジアの光の色では無いと感じた点と、カメラワークが異常に安定している点である。
本作「ブラザーフッド」は「シュリ」のカン・ジェギュ監督の新作なのだが、そうは思わせないハリウッド・テイスト溢れる作品だった。
以前のカン・ジェギュ作品は、ある意味稚拙で荒削りではあったが、パワーや勢いのある作品を撮る監督だったと思うのだが、本作では円熟味を増したのか、はたまたスタッフが変わったのか、語弊があるが、面白みの無い普通のハリウッド映画のようなテイストを感じた。
作品に、安心感はあるが、何が起きるかわからない、と言ったライヴ感が無い、と言う感じなのである。
かつてのエログロ映画監督ピーター・ジャクソンが文芸的な「指輪物語」を撮ったような感じだろうか。
おそらく監督の成長は成長なのだが、わたしたち観客の期待する監督像と成長を果たした監督像とのベクトルが違う感じなのである。
物語は、朝鮮戦争という大きなうねりの中に投げ込まれた、波乱の人生をおくる二人の兄弟の物語である。
当初、ウォンビン演じる弟ジンソクは世間知らずの子どもで、兄ジンテ(チャン・ドンゴン)の気持ちをわかろうとしないし、子どもの理論で背伸びをしているように取れる。
一方、兄ジンテもやっていることは大人のようだが、実際は弟ジンソクの事のみを妄信的に考え、戦争の大義や政治信条には全く関心がなく、弟ジンソクを家に返すことのみを目的として、そのため軍功を重ねていっているのである。
彼の頭の中には、祖国統一なんて考えは無いのかもしれない。
旗部隊のシークエンスは、その辺りを明確にさせているのかも知れない。あの辺は韓国の人はどう感じるのか、日本人としても疑問を感じる。
話題の戦闘シーンは激しく、「プライベート・ライアン」の冒頭部分をこれでもか、これでもか、と全編の戦闘シーンにまで引き伸ばしたような印象を受ける。
「プライベート・ライアン」の戦闘シーンや物語性は、前半から後半に進むに従って、スピルバーグの悪い癖である娯楽性が頭をもたげ、前半と後半は全く違う種類の映画になってしまっている(前半は戦争の悲惨さを描き、後半は戦争の格好よさ爽快さを描いている)のだが、本作「ブラザーフッド」は戦争の悲惨さを描くと言った統一したイメージで貫かれている点は大いに評価できる。
本作には、戦争の格好よさや、戦闘の爽快さ、変なヒロイズム等が入り込む余地は全く無いのだ。
あるのは戦争の悲惨さ、非人道的な行為、人間性を失っていく人間達だけなのである。
そして、あまりにも凄惨で重い話が続くため、本作を娯楽作品として捉える事が困難なむきもあるのではないだろうか。
そんな戦闘シーンは、「プライベート・ライアン」と同様に、おそらくカメラを機械的に動かしブレを生じさせ、さらに白と黒のコントラストを強調し、所々コマを飛ばしているような効果を与えた映像のオンパレードであった。
ところで、本作「ブラザーフッド」は、先日紹介した1,200万人が涙した「シルミド」を超え、なんと1,300万人が泣いた、らしいのだ。
試写会の連れは号泣していたのだが、わたしはほとんど泣けなかった。
あまりにも凄惨な戦闘シーンの釣瓶打ちだったため、感情移入するスキもなく、感情をしゃっとダウンし、論理的に冷静に映画に見入ってしまったような印象を受けた。
因みに、わたしが最近大泣きしたのは「ビッグ・フィッシュ」である。
しかし、脚本(伏線)といい、美術といい、演技といい、スケールといい、こういった全くスキの無い作品を作ることが出来る韓国映画界に羨望を感じてしまう。
少なくても、その辺の日本映画よりは全然面白いし、エモーショナルだし、作品としての格も上だし、日本人としてうらやましくもあり悔しくもありなのだ。
香港映画が熱い頃は香港映画に嫉妬し、現在は韓国映画に嫉妬する、と言う感じなのだ。
ところで、キャストは、ほとんどウォンビンとチャン・ドンゴンのみであり、彼等二人のためにこの映画の全てが用意されている、と言っても過言ではないような作品なのだ。
とは言っても、前述のように美術も脚本も撮影も編集も、全て良い仕事をしており、その辺のアイドル映画みたいな映画とは一線を画しているし、ウォンビンの成長と言う見方も出来るほど、ウォンビンの成長は甚だしい印象を受ける。
また韓国映画に多いのだが、過去と現在に大きな伏線を配した上で、過去と現在並列的に描く手法が本作でも素晴らしい効果を与えている。
印象的には「テラコッタ・ウォリア/秦俑」のラストシーンのような感じも受けるし、映画自体の構成は、冒頭とラストが見事に繋がる「シザーハンズ」や「ラブ・ストーリー」にも似た構造になっている。
くどくどと細かい話を書いてきたが、本作はちょっと重いが、アジアの歴史を語る上でも、また韓国映画のパワーを見る上でも、ウォンビンとチャン・ドンゴンだけを見る上でも、日本映画と比較する上でも、ハリウッド映画と比較する上でも、興味深く楽しめる作品だと思う。
題材はともかく、本作「ブラザーフッド」は手法やスタイルは完全にハリウッド映画と言えるのではないだろうか。
1950年、韓国ソウル。
兄ジンテ(チャン・ドンゴン)は靴磨きで一家の家計を支え、恋人ヨンシン(イ・ウンジュ)との結婚と、弟ジンソク(ウォンビン)の大学進学のためにと苦しいながらも充実した日々を送っていた。
一方世間知らずの弟ジンソクも頼もしく優しい兄に守られて、何不自由ない生活を送っていた。
しかし6月25日、事態は一変する。朝鮮戦争が勃発したのだ。混乱の中、ジンソクが軍人に強制的に徴兵されてしまったことから、ジンテも慌てて後を追う。
兄ジンテは、自ら危険な任務につき武功をあげ、勲章を貰ってその恩寵で、弟を戦地から遠ざけようと考えるのだった・・・・。
まず英語のタイトルの"brotherhood"と言う言葉であるが、"-hood"は「だった頃」というような意味を持つ言葉である。
"brotherhood"を直訳すると「兄弟だった頃」という意味にも取れるのだ。
そして論を進めると本作「ブラザーフッド」は、"brotherhood"と言うタイトルから、以前は兄弟関係だったが、現在は何らかの理由で「兄弟では無くなった」兄弟の物語である、と言うことが読み取れる。
まず映画を見て驚いたのは、空の色と言うか光の色がアジアの光の色では無いと感じた点と、カメラワークが異常に安定している点である。
本作「ブラザーフッド」は「シュリ」のカン・ジェギュ監督の新作なのだが、そうは思わせないハリウッド・テイスト溢れる作品だった。
以前のカン・ジェギュ作品は、ある意味稚拙で荒削りではあったが、パワーや勢いのある作品を撮る監督だったと思うのだが、本作では円熟味を増したのか、はたまたスタッフが変わったのか、語弊があるが、面白みの無い普通のハリウッド映画のようなテイストを感じた。
作品に、安心感はあるが、何が起きるかわからない、と言ったライヴ感が無い、と言う感じなのである。
かつてのエログロ映画監督ピーター・ジャクソンが文芸的な「指輪物語」を撮ったような感じだろうか。
おそらく監督の成長は成長なのだが、わたしたち観客の期待する監督像と成長を果たした監督像とのベクトルが違う感じなのである。
物語は、朝鮮戦争という大きなうねりの中に投げ込まれた、波乱の人生をおくる二人の兄弟の物語である。
当初、ウォンビン演じる弟ジンソクは世間知らずの子どもで、兄ジンテ(チャン・ドンゴン)の気持ちをわかろうとしないし、子どもの理論で背伸びをしているように取れる。
一方、兄ジンテもやっていることは大人のようだが、実際は弟ジンソクの事のみを妄信的に考え、戦争の大義や政治信条には全く関心がなく、弟ジンソクを家に返すことのみを目的として、そのため軍功を重ねていっているのである。
彼の頭の中には、祖国統一なんて考えは無いのかもしれない。
旗部隊のシークエンスは、その辺りを明確にさせているのかも知れない。あの辺は韓国の人はどう感じるのか、日本人としても疑問を感じる。
話題の戦闘シーンは激しく、「プライベート・ライアン」の冒頭部分をこれでもか、これでもか、と全編の戦闘シーンにまで引き伸ばしたような印象を受ける。
「プライベート・ライアン」の戦闘シーンや物語性は、前半から後半に進むに従って、スピルバーグの悪い癖である娯楽性が頭をもたげ、前半と後半は全く違う種類の映画になってしまっている(前半は戦争の悲惨さを描き、後半は戦争の格好よさ爽快さを描いている)のだが、本作「ブラザーフッド」は戦争の悲惨さを描くと言った統一したイメージで貫かれている点は大いに評価できる。
本作には、戦争の格好よさや、戦闘の爽快さ、変なヒロイズム等が入り込む余地は全く無いのだ。
あるのは戦争の悲惨さ、非人道的な行為、人間性を失っていく人間達だけなのである。
そして、あまりにも凄惨で重い話が続くため、本作を娯楽作品として捉える事が困難なむきもあるのではないだろうか。
そんな戦闘シーンは、「プライベート・ライアン」と同様に、おそらくカメラを機械的に動かしブレを生じさせ、さらに白と黒のコントラストを強調し、所々コマを飛ばしているような効果を与えた映像のオンパレードであった。
ところで、本作「ブラザーフッド」は、先日紹介した1,200万人が涙した「シルミド」を超え、なんと1,300万人が泣いた、らしいのだ。
試写会の連れは号泣していたのだが、わたしはほとんど泣けなかった。
あまりにも凄惨な戦闘シーンの釣瓶打ちだったため、感情移入するスキもなく、感情をしゃっとダウンし、論理的に冷静に映画に見入ってしまったような印象を受けた。
因みに、わたしが最近大泣きしたのは「ビッグ・フィッシュ」である。
しかし、脚本(伏線)といい、美術といい、演技といい、スケールといい、こういった全くスキの無い作品を作ることが出来る韓国映画界に羨望を感じてしまう。
少なくても、その辺の日本映画よりは全然面白いし、エモーショナルだし、作品としての格も上だし、日本人としてうらやましくもあり悔しくもありなのだ。
香港映画が熱い頃は香港映画に嫉妬し、現在は韓国映画に嫉妬する、と言う感じなのだ。
ところで、キャストは、ほとんどウォンビンとチャン・ドンゴンのみであり、彼等二人のためにこの映画の全てが用意されている、と言っても過言ではないような作品なのだ。
とは言っても、前述のように美術も脚本も撮影も編集も、全て良い仕事をしており、その辺のアイドル映画みたいな映画とは一線を画しているし、ウォンビンの成長と言う見方も出来るほど、ウォンビンの成長は甚だしい印象を受ける。
また韓国映画に多いのだが、過去と現在に大きな伏線を配した上で、過去と現在並列的に描く手法が本作でも素晴らしい効果を与えている。
印象的には「テラコッタ・ウォリア/秦俑」のラストシーンのような感じも受けるし、映画自体の構成は、冒頭とラストが見事に繋がる「シザーハンズ」や「ラブ・ストーリー」にも似た構造になっている。
くどくどと細かい話を書いてきたが、本作はちょっと重いが、アジアの歴史を語る上でも、また韓国映画のパワーを見る上でも、ウォンビンとチャン・ドンゴンだけを見る上でも、日本映画と比較する上でも、ハリウッド映画と比較する上でも、興味深く楽しめる作品だと思う。
題材はともかく、本作「ブラザーフッド」は手法やスタイルは完全にハリウッド映画と言えるのではないだろうか。
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