「ラブ・アクチュアリー」
2004年6月7日 映画
例によって、見逃した映画のわたし的最後の砦である池袋「新文芸坐」で「ラブ・アクチュアリー」を観た。
同時上映は先日紹介した「シービスケット」。
19人が織り成すそれぞれの愛のカタチ−−
それはあなたの物語(ストーリー)。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、クリスマスを目前に控えたロンドンを舞台に、男女19人が織りなすさまざまな恋愛模様を同時進行で描く心暖まる群像ラブ・コメディである。
監督のリチャード・カーティスは、「ローワン・アトキンソンのブラックアダー」、「ミスター・ビーン」等テレビ・ムービーや、「彼女がステキな理由(わけ)」の脚本家としてキャリアをスタートさせ、最近では、「フォー・ウェディング」、「ノッティングヒルの恋人」、「ブリジット・ジョーンズの日記」等ヒット作の脚本、製作総指揮を務め、今回本作「ラブ・アクチュアリー」により監督デビューを果たしている。
リチャード・カーティスのキャリア自体は20年以上あるものの、携わった作品は比較的少なく、良作をおさえて脚本家からトントン拍子に監督までたどり着いた、羨ましいキャリアの持ち主である。
12月のロンドン。
クリスマスを目前に控え、誰もが愛を求め、なんとか愛を成就しようと浮き足立つ季節。
新たに英国首相となったデヴィッド(ヒュー・グラント)は、国民の熱い期待とは裏腹に、ひと目惚れした秘書のナタリー(マルティン・マカッチョン)のことで頭がいっぱい。
一方街では、最愛の妻を亡くしたダニエル(リーアム・ニーソン)が、初恋が原因とも知らず元気をなくした義理の息子サム(トーマス・サングスター)に気を揉んでいた。
恋人に裏切られ傷心の作家ジェイミー(コリン・ファース)は言葉の通じないポルトガル人家政婦オーレリア(ルシア・モニス)に恋をしてしまう。
会社の部下ミア(ハイケ・マカッシュ)のあからさまなアプローチにドギマギするハリー(アラン・リックマン)の不審な行動に妻カレン(エマ・トンプソン)の心に疑惑が芽生え、ハリーが経営する会社の内気なOLサラ(ローラ・リニー)のカール(ロドリゴ・サントロ)への2年7ヵ月に及ぶ片想いはハリーの計らいで新たな展開を迎えようとしていた・・・・。
結論から言うと、誰にでもオススメできる、大変素晴らしい「愛」に関する映画である。
しかもこの物語で語られている「愛」は、勿論男女間の恋愛から始まって、親子の愛、兄弟姉妹の愛、友達への愛、同士への愛、独りよがりの愛、多くの人々への愛等、様々な形態があり、冒頭とラストのヒースロー空港での全てのカットがそれを端的に表しているのだ。
特にラストの凄まじいほどのスプリット・スクリーンには、観客を神の視点へと導き、この暴力や憎悪に満ちたすさんだ世界にあっても、人間というものは、なかなか捨てたものではないな、というような感慨を持たせる効果を担っている。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、あえて陳腐な表現を使わせていただくならば「心が温かくなる映画」というカテゴリーに入るの映画なのだ。
ところで、物語の形式は、古くから「グランド・ホテル」形式と呼ばれていた、閉鎖されたある環境(多くの場合建物や極限的な境遇)内にいる人々の様々な人間模様をオムニバス形式、アンサンブル形式で語りつつ、大きな物語を紡ぎ出す、という形式で、「ショート・カッツ」以降、様々な「グランド・ホテル」形式の発展的末裔と思われる作品が見られたが、最近では「マグノリア」と言うような「グランド・ホテル」形式のひとつの完成形とも言える作品を輩出するまでに至っている。
尤も、「マグノリア」が果たして「グランド・ホテル」形式を踏襲しているかどうかについては、諸意見があると思うが、本作「ラブ・アクチュアリー」は一見すると複雑で雑多な人間模様が、終盤に用意された大きなプロットに向け、登場人物の全ての行動が集約されていく様は、「マグノリア」等と比較するとちよっと弱いが、「マグノリア」系の作品だと言えるし、その大きなプロットの存在が、神の見えざる手による予定調和的なストーリー・テリングに思え、ある意味壮大な感動を覚えるのだ。
キャストについては、全てのキャストが与えられたキャラクターを気負わずあくまでも自然に観客の期待通りの演技を見せている。
本作のような、脚本で見せる群像劇は、オーバーアクトやなにかで一部の俳優が目立ってしまうと、観客は所謂興ざめ状態に陥り、作品としての評価が下がってしまうきらいがある。
周囲の状況を把握できない一部の俳優の熱い演技の為、観客が冷めてしまう事が往々にしてあるのだが、本作では、キャスト全員が生き生きと、その与えられたキャラクターを自然に、あくまでも自然に、市井の人々風のリアリティを持って演じている。
そう考えると本作は、あの俳優の演技が良いとか悪いとか言う次元を超越した作品に仕上がっている、と言えるだろう。
従って本作のキャストについては、個々の俳優の演技がどうこうではなく、その演じたキャラクターに観客として、またはひとりの人間として共感できるかどうかに転化してしまっているのである。
これは、勿論全ての俳優たちは、与えられた仕事以上の仕事を本作で果たしていることを前提としてだが。
そこまで考えて、神の視点の事を考えるとこの「ラブ・アクチュアリー」は、一気に面白みを増すのではないだろうか。
人間って些細な事に一所懸命になったり、バカなことをいろいろやるけど、本当は気の良いヤツばかりだな。
なんて感想が持てたら、人生楽しくなってしまうのではないだろうか。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、そんな気分にさせてくれる素晴らしい作品なのだ。
余談だが、本編中でビリー・マック(ビル・ナイ)が歌っている曲だが、リチャード・カーティスが製作総指揮と脚本を担当した「フォー・ウェディング」の結婚式中でも使用されている。
同時上映は先日紹介した「シービスケット」。
19人が織り成すそれぞれの愛のカタチ−−
それはあなたの物語(ストーリー)。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、「ノッティングヒルの恋人」「ブリジット・ジョーンズの日記」の製作スタッフが、クリスマスを目前に控えたロンドンを舞台に、男女19人が織りなすさまざまな恋愛模様を同時進行で描く心暖まる群像ラブ・コメディである。
監督のリチャード・カーティスは、「ローワン・アトキンソンのブラックアダー」、「ミスター・ビーン」等テレビ・ムービーや、「彼女がステキな理由(わけ)」の脚本家としてキャリアをスタートさせ、最近では、「フォー・ウェディング」、「ノッティングヒルの恋人」、「ブリジット・ジョーンズの日記」等ヒット作の脚本、製作総指揮を務め、今回本作「ラブ・アクチュアリー」により監督デビューを果たしている。
リチャード・カーティスのキャリア自体は20年以上あるものの、携わった作品は比較的少なく、良作をおさえて脚本家からトントン拍子に監督までたどり着いた、羨ましいキャリアの持ち主である。
12月のロンドン。
クリスマスを目前に控え、誰もが愛を求め、なんとか愛を成就しようと浮き足立つ季節。
新たに英国首相となったデヴィッド(ヒュー・グラント)は、国民の熱い期待とは裏腹に、ひと目惚れした秘書のナタリー(マルティン・マカッチョン)のことで頭がいっぱい。
一方街では、最愛の妻を亡くしたダニエル(リーアム・ニーソン)が、初恋が原因とも知らず元気をなくした義理の息子サム(トーマス・サングスター)に気を揉んでいた。
恋人に裏切られ傷心の作家ジェイミー(コリン・ファース)は言葉の通じないポルトガル人家政婦オーレリア(ルシア・モニス)に恋をしてしまう。
会社の部下ミア(ハイケ・マカッシュ)のあからさまなアプローチにドギマギするハリー(アラン・リックマン)の不審な行動に妻カレン(エマ・トンプソン)の心に疑惑が芽生え、ハリーが経営する会社の内気なOLサラ(ローラ・リニー)のカール(ロドリゴ・サントロ)への2年7ヵ月に及ぶ片想いはハリーの計らいで新たな展開を迎えようとしていた・・・・。
結論から言うと、誰にでもオススメできる、大変素晴らしい「愛」に関する映画である。
しかもこの物語で語られている「愛」は、勿論男女間の恋愛から始まって、親子の愛、兄弟姉妹の愛、友達への愛、同士への愛、独りよがりの愛、多くの人々への愛等、様々な形態があり、冒頭とラストのヒースロー空港での全てのカットがそれを端的に表しているのだ。
特にラストの凄まじいほどのスプリット・スクリーンには、観客を神の視点へと導き、この暴力や憎悪に満ちたすさんだ世界にあっても、人間というものは、なかなか捨てたものではないな、というような感慨を持たせる効果を担っている。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、あえて陳腐な表現を使わせていただくならば「心が温かくなる映画」というカテゴリーに入るの映画なのだ。
ところで、物語の形式は、古くから「グランド・ホテル」形式と呼ばれていた、閉鎖されたある環境(多くの場合建物や極限的な境遇)内にいる人々の様々な人間模様をオムニバス形式、アンサンブル形式で語りつつ、大きな物語を紡ぎ出す、という形式で、「ショート・カッツ」以降、様々な「グランド・ホテル」形式の発展的末裔と思われる作品が見られたが、最近では「マグノリア」と言うような「グランド・ホテル」形式のひとつの完成形とも言える作品を輩出するまでに至っている。
尤も、「マグノリア」が果たして「グランド・ホテル」形式を踏襲しているかどうかについては、諸意見があると思うが、本作「ラブ・アクチュアリー」は一見すると複雑で雑多な人間模様が、終盤に用意された大きなプロットに向け、登場人物の全ての行動が集約されていく様は、「マグノリア」等と比較するとちよっと弱いが、「マグノリア」系の作品だと言えるし、その大きなプロットの存在が、神の見えざる手による予定調和的なストーリー・テリングに思え、ある意味壮大な感動を覚えるのだ。
キャストについては、全てのキャストが与えられたキャラクターを気負わずあくまでも自然に観客の期待通りの演技を見せている。
本作のような、脚本で見せる群像劇は、オーバーアクトやなにかで一部の俳優が目立ってしまうと、観客は所謂興ざめ状態に陥り、作品としての評価が下がってしまうきらいがある。
周囲の状況を把握できない一部の俳優の熱い演技の為、観客が冷めてしまう事が往々にしてあるのだが、本作では、キャスト全員が生き生きと、その与えられたキャラクターを自然に、あくまでも自然に、市井の人々風のリアリティを持って演じている。
そう考えると本作は、あの俳優の演技が良いとか悪いとか言う次元を超越した作品に仕上がっている、と言えるだろう。
従って本作のキャストについては、個々の俳優の演技がどうこうではなく、その演じたキャラクターに観客として、またはひとりの人間として共感できるかどうかに転化してしまっているのである。
これは、勿論全ての俳優たちは、与えられた仕事以上の仕事を本作で果たしていることを前提としてだが。
そこまで考えて、神の視点の事を考えるとこの「ラブ・アクチュアリー」は、一気に面白みを増すのではないだろうか。
人間って些細な事に一所懸命になったり、バカなことをいろいろやるけど、本当は気の良いヤツばかりだな。
なんて感想が持てたら、人生楽しくなってしまうのではないだろうか。
本作「ラブ・アクチュアリー」は、そんな気分にさせてくれる素晴らしい作品なのだ。
余談だが、本編中でビリー・マック(ビル・ナイ)が歌っている曲だが、リチャード・カーティスが製作総指揮と脚本を担当した「フォー・ウェディング」の結婚式中でも使用されている。
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