「犬と歩けば チロリとタムラ」
2004年4月13日 映画東京「銀座ガスホール」で行なわれた「犬と歩けば チロリとタムラ」の完成披露試写会に行ってきた。
完成披露試写会ということもあり、監督の篠崎誠、主演の田中直樹(ココリコ)、りょう、と日本セラピードック協会代表でブルースシンガーで、本人役を演じる大木トオル、そして犬のタムラ(ピース)とチロリ(チロリ)の舞台挨拶があった。
フリーターの岡村靖幸(田中直樹)はコンビニの前で一匹の捨て犬と出会い餌を与える。
犬と別れ、靖幸は同棲している美和(りょう)のアパートへ帰るが、美和は末期ガンの母親と引きこもりの妹の面倒を見るため、アパートを引き払い帰郷することになっていたのだ。
住む場所を失った靖幸。
妹夫婦(吉村由美/puffy、片桐仁/ラーメンズ)の家に泊めてもらうことも出来ず、路頭に迷っていたところ、あの捨て犬と再会する靖幸。
その犬に「タムラ」と名を付け行動を共にし始めた靖幸だが、住む場所も無く公園に居る所を、浮浪者と野犬として警察と保健所に通報されてしまう。
保健所に保護された野犬は処分されてしまう事を知った靖幸は、タムラだけでもなんとかしようと、テレビで見た、セラピードッグの訓練所を訪ねる・・・・
ここ最近「犬」を題材にした映画が多いが、本作はそんな映画の一本である。
しかしながら本作は「犬もの映画」の二匹目のドジョウを狙った作品ではなく、構想2年以上を費やした作品なのだ。
本作が完成したのは昨年秋。半年以上も配給会社が決まらず公開が危ぶまれていたが、ここに来てなんとか公開できる運びとなった。
しかし、大手の配給会社がついている訳ではないし、大きなプロモーションを行なっている訳ではない。
おそらくこの映画には客は入らないと思うが、良質な作品だと言えよう。出来るなら多くの客に見て欲しいものだ。
この時期、もし「クィール」を見ようとしているならば、是非本作「犬と歩けば チロリとタムラ」を見て欲しい。
「クィール」のような映画は、この先見る機会はいくらでもあるだろうが、本作「犬と歩けば チロリとタムラ」は今回見逃すと、もしかすると一生出会えないかもしれない種類の映画なのだ。
ところで、わたしが思うに、この映画の技術は、勿論狙いかも知れないが、なんとも稚拙な印象を受ける。自主制作映画か教育映画のような印象を受ける。
ファースト・カットは、なんとも見事なピンボケから始まるし、編集も、被写体どころか構図もほとんど変わらないのに、カットを変えるような、妙な繋ぎが散見される。
また、セラピードッグのイベントのシークエンスは、ドキュメンタリー的手法を使用しているし、その辺のバランス感覚は映画作品としては、首を傾げてしまうのだ。
そして、脚本はたまたま捨て犬と出合い、犬を助けるためにセラピードッグのトレーナー宅に転がり込み、住み込みでセラピードッグのトレーナーをして、結局はかつての恋人の末期ガンの母親と引きこもりの妹を癒す、というもので、全く都合が良いし、セラピードッグのイベントやなんかは若干説教臭い雰囲気を醸し出している。という難点を持っている。
そんな中で、興味深かったのは、この作品の中で描かれているふたつの「死」である。
その「死」の描写は、完全に抑制されており、その静かで婉曲な「死」の表現は今まで感じたことの無い、静かで穏やかな感動を引き起こすのだ。
また、末期ガンの母親を演じた天光眞弓の演技が凄い。
最早演技とは思えない程の自然さとリアリティの極地なのである。
ドキュメンタリーかとも思えてしまうのだ。
そして、美和(りょう)と妹(藤田陽子)の扉を隔てた長回しの対決も鬼気迫るものがある。
りょうはともかく、引きこもりの自閉症という難しい役所の藤田陽子が素晴らしい。
ココリコの田中直樹は、やはりどうしても「ミラクル・タイプ」のテンションが時々顔を出すのだが、勿論「ミラクル・タイプ」自体、最早俳優達の演技合戦の様相を呈している訳であるが、田中は役柄を危なげなく、そつなくこなしているし、舞台挨拶を通じても、この作品に対しての真摯な態度を感じられる。
本作は傑作ではないし、手放しで誉めるような種類の映画でもないし、説教くさいし、脚本は都合が良いが、見るところも多い良質の映画だと言えるのだ。
完成披露試写会ということもあり、監督の篠崎誠、主演の田中直樹(ココリコ)、りょう、と日本セラピードック協会代表でブルースシンガーで、本人役を演じる大木トオル、そして犬のタムラ(ピース)とチロリ(チロリ)の舞台挨拶があった。
フリーターの岡村靖幸(田中直樹)はコンビニの前で一匹の捨て犬と出会い餌を与える。
犬と別れ、靖幸は同棲している美和(りょう)のアパートへ帰るが、美和は末期ガンの母親と引きこもりの妹の面倒を見るため、アパートを引き払い帰郷することになっていたのだ。
住む場所を失った靖幸。
妹夫婦(吉村由美/puffy、片桐仁/ラーメンズ)の家に泊めてもらうことも出来ず、路頭に迷っていたところ、あの捨て犬と再会する靖幸。
その犬に「タムラ」と名を付け行動を共にし始めた靖幸だが、住む場所も無く公園に居る所を、浮浪者と野犬として警察と保健所に通報されてしまう。
保健所に保護された野犬は処分されてしまう事を知った靖幸は、タムラだけでもなんとかしようと、テレビで見た、セラピードッグの訓練所を訪ねる・・・・
ここ最近「犬」を題材にした映画が多いが、本作はそんな映画の一本である。
しかしながら本作は「犬もの映画」の二匹目のドジョウを狙った作品ではなく、構想2年以上を費やした作品なのだ。
本作が完成したのは昨年秋。半年以上も配給会社が決まらず公開が危ぶまれていたが、ここに来てなんとか公開できる運びとなった。
しかし、大手の配給会社がついている訳ではないし、大きなプロモーションを行なっている訳ではない。
おそらくこの映画には客は入らないと思うが、良質な作品だと言えよう。出来るなら多くの客に見て欲しいものだ。
この時期、もし「クィール」を見ようとしているならば、是非本作「犬と歩けば チロリとタムラ」を見て欲しい。
「クィール」のような映画は、この先見る機会はいくらでもあるだろうが、本作「犬と歩けば チロリとタムラ」は今回見逃すと、もしかすると一生出会えないかもしれない種類の映画なのだ。
ところで、わたしが思うに、この映画の技術は、勿論狙いかも知れないが、なんとも稚拙な印象を受ける。自主制作映画か教育映画のような印象を受ける。
ファースト・カットは、なんとも見事なピンボケから始まるし、編集も、被写体どころか構図もほとんど変わらないのに、カットを変えるような、妙な繋ぎが散見される。
また、セラピードッグのイベントのシークエンスは、ドキュメンタリー的手法を使用しているし、その辺のバランス感覚は映画作品としては、首を傾げてしまうのだ。
そして、脚本はたまたま捨て犬と出合い、犬を助けるためにセラピードッグのトレーナー宅に転がり込み、住み込みでセラピードッグのトレーナーをして、結局はかつての恋人の末期ガンの母親と引きこもりの妹を癒す、というもので、全く都合が良いし、セラピードッグのイベントやなんかは若干説教臭い雰囲気を醸し出している。という難点を持っている。
そんな中で、興味深かったのは、この作品の中で描かれているふたつの「死」である。
その「死」の描写は、完全に抑制されており、その静かで婉曲な「死」の表現は今まで感じたことの無い、静かで穏やかな感動を引き起こすのだ。
また、末期ガンの母親を演じた天光眞弓の演技が凄い。
最早演技とは思えない程の自然さとリアリティの極地なのである。
ドキュメンタリーかとも思えてしまうのだ。
そして、美和(りょう)と妹(藤田陽子)の扉を隔てた長回しの対決も鬼気迫るものがある。
りょうはともかく、引きこもりの自閉症という難しい役所の藤田陽子が素晴らしい。
ココリコの田中直樹は、やはりどうしても「ミラクル・タイプ」のテンションが時々顔を出すのだが、勿論「ミラクル・タイプ」自体、最早俳優達の演技合戦の様相を呈している訳であるが、田中は役柄を危なげなく、そつなくこなしているし、舞台挨拶を通じても、この作品に対しての真摯な態度を感じられる。
本作は傑作ではないし、手放しで誉めるような種類の映画でもないし、説教くさいし、脚本は都合が良いが、見るところも多い良質の映画だと言えるのだ。
コメント