「フォーン・ブース」
2003年12月7日半年くらい前だろうか、WEBで予告編を見て、期待していた「フォーン・ブース」を観た。
物語の舞台は、マンハッタン、タイムズスクエア。
パブリシスト、スチュ(コリン・ファレル)は、いつものようにアシスタントと共に、携帯からクライアントや各メディアに口先だけでビジネスをまとめている。
その日スチュは、アシスタントと別れ、1台の電話ボックスで、新人女優パメラ(ケイティ・ホームズ)に電話を掛け口説いたが、上手くいかず電話を切る。
その時、切ったばかりの電話のベルが鳴り、思わず受話器を取ってしまうスチュ。すると電話の主は、「電話を切ったら殺す」と脅迫してきたのだった・・・・。
第一印象としては、一般的に本作はコリン・ファレルの一人芝居だと言われている訳であるが、実際は犯人(声の出演)とコリン・ファレルの演技合戦の様相を呈していた。
その演技合戦に花を添えるのは、フォレスト・ウィティカー演じるレイミー警部と、スチュの妻ケリー(ラダ・ミッチェル)とパメラ(ケイティ・ホームズ)。
個人的にフォレスト・ウィティカーの有能な現場指揮振りに期待していたのであるが、現場指揮者として有能なのか無能なのか判断が付きづらい印象を受けた。勿論狙撃犯の存在に気が付く辺りは有能さを示しているのであろうが、切れ者と言うには、ちょっとイマイチな印象を受けた。
「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズや、「交渉人」のケヴィン・スペイシーやサミュエル・L・ジャクソンくらいの有能さを求めていたのだ。
これは、どんでん返しが無い脚本のせいかも知れない。
物語の性格上、本作の舞台はひとつのフォーン・ブースに限定されてあり、舞台が限られている以上脚本と演出が全て、と言っても良いだろう。
この辺は「パニック・ルーム」にも通じるのではないだろうか。
そして気になる脚本は、コンセプトは大変面白いのだが、中身はなんとも直線的な脚本で、ちと期待はずれであった。
これは、スチュと犯人そしてレイミー警部等のやりとりが、繰り返し繰り返しになってしまい、新たな進展に乏しいからだと思う。
もう少し複線的なアプローチが出来たのではないだろうか。
折角メディアが取材に来ているのだから、メディア批判的なシークエンスを入れて欲しかったのだ。
で、コリン・ファレルの一人芝居は、相手が電話の先に居ることもあり、非常に見応えがあり、それはそれで良いのであるが、微妙な表情でレイミー警部に様々なメッセージをもっと明確に伝えて欲しかった。
また、交渉人の役割が小さく残念であった。鳴り物入りで登場した割には扱いが小さく、もう少しレイミー警部との対立や確執が描けていれば、と思った。特に狙撃犯の存在を悟ったレイミー警部の行動(指示)に対し、即座に追従してしまうのは、興冷めである。
あとは、狙撃犯が全然発泡しないのも期待はずれである。
わたしはもっとバンバン発泡すると思っていたのだ。
物語の結末のつけ方は、あたりまえすぎである。81分と言う短い時間とは言え、観客を引っ張った割に、誰もが考えつく結末では、カタルシスも得られない。もう一ひねり、どんでん返しが欲しかった。
とは言うものの、81分という短い映画を作ることについては、好感をおぼえるし、観客をぐいぐい引っ張る力もある、楽しい娯楽作品に仕上がっているのは事実である。
物語の舞台は、マンハッタン、タイムズスクエア。
パブリシスト、スチュ(コリン・ファレル)は、いつものようにアシスタントと共に、携帯からクライアントや各メディアに口先だけでビジネスをまとめている。
その日スチュは、アシスタントと別れ、1台の電話ボックスで、新人女優パメラ(ケイティ・ホームズ)に電話を掛け口説いたが、上手くいかず電話を切る。
その時、切ったばかりの電話のベルが鳴り、思わず受話器を取ってしまうスチュ。すると電話の主は、「電話を切ったら殺す」と脅迫してきたのだった・・・・。
第一印象としては、一般的に本作はコリン・ファレルの一人芝居だと言われている訳であるが、実際は犯人(声の出演)とコリン・ファレルの演技合戦の様相を呈していた。
その演技合戦に花を添えるのは、フォレスト・ウィティカー演じるレイミー警部と、スチュの妻ケリー(ラダ・ミッチェル)とパメラ(ケイティ・ホームズ)。
個人的にフォレスト・ウィティカーの有能な現場指揮振りに期待していたのであるが、現場指揮者として有能なのか無能なのか判断が付きづらい印象を受けた。勿論狙撃犯の存在に気が付く辺りは有能さを示しているのであろうが、切れ者と言うには、ちょっとイマイチな印象を受けた。
「逃亡者」のトミー・リー・ジョーンズや、「交渉人」のケヴィン・スペイシーやサミュエル・L・ジャクソンくらいの有能さを求めていたのだ。
これは、どんでん返しが無い脚本のせいかも知れない。
物語の性格上、本作の舞台はひとつのフォーン・ブースに限定されてあり、舞台が限られている以上脚本と演出が全て、と言っても良いだろう。
この辺は「パニック・ルーム」にも通じるのではないだろうか。
そして気になる脚本は、コンセプトは大変面白いのだが、中身はなんとも直線的な脚本で、ちと期待はずれであった。
これは、スチュと犯人そしてレイミー警部等のやりとりが、繰り返し繰り返しになってしまい、新たな進展に乏しいからだと思う。
もう少し複線的なアプローチが出来たのではないだろうか。
折角メディアが取材に来ているのだから、メディア批判的なシークエンスを入れて欲しかったのだ。
で、コリン・ファレルの一人芝居は、相手が電話の先に居ることもあり、非常に見応えがあり、それはそれで良いのであるが、微妙な表情でレイミー警部に様々なメッセージをもっと明確に伝えて欲しかった。
また、交渉人の役割が小さく残念であった。鳴り物入りで登場した割には扱いが小さく、もう少しレイミー警部との対立や確執が描けていれば、と思った。特に狙撃犯の存在を悟ったレイミー警部の行動(指示)に対し、即座に追従してしまうのは、興冷めである。
あとは、狙撃犯が全然発泡しないのも期待はずれである。
わたしはもっとバンバン発泡すると思っていたのだ。
物語の結末のつけ方は、あたりまえすぎである。81分と言う短い時間とは言え、観客を引っ張った割に、誰もが考えつく結末では、カタルシスも得られない。もう一ひねり、どんでん返しが欲しかった。
とは言うものの、81分という短い映画を作ることについては、好感をおぼえるし、観客をぐいぐい引っ張る力もある、楽しい娯楽作品に仕上がっているのは事実である。
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