はるか昔、渋谷のミニシアターで「レザボア・ドッグス」を観た帰り、渋谷の輸入LD屋でそのまま「レザボア・ドッグス」輸入版を購入したり、「トゥルー・ロマンス」の帰りにこれまた「トゥルー・ロマンス」の輸入LDを購入したのを懐かしく思い出す。


さて「キル・ビル Vol.1」である。

この「キル・ビル Vol.1」、日米ほぼ同時公開というのが不安を煽っていた。と言うのも最近の場合、日米同時公開の映画というのは、大ヒットが約束された超大作がネタバレや海賊版の発生を恐れて公開する場合と、米国でおそらくコケるであろう映画を話題作という触れ込みで、駆け込み公開する場合が一般的だからだ。

そして前・後編に分かれている点も不安を煽る。そんなことをして大丈夫なのか。タランティーノよ。監督としての自らのキャリアに終止符をうち、脚本家として生きる覚悟は出来ているのか。
一本ならともかく、二本連続でメジャー作品がコケたらどうするつもりなのだ。

そして、タランティーノは、自分のマニアックな映画オタクのごった煮的趣味の世界をワールド・ワイドな規模で公開され、全世界の観客が観ることになる事を理解しているのであろうか。

そして日本の配給会社である。
これは「ロード・オブ・ザ・リング」にも言えることなのだが、この「キル・ビル Vol.1」の日本語表記は「キル・ビル」なのである。「Vol.1」という表記を入れないところに、なんらかの意図と脅威を感じてしまうのは、わたしだけではないだろう。

まあ、そういう不安の中で「キル・ビル Vol.1」を観た訳である。

「キル・ビル Vol.2」が公開されていない今、わたしに言えるのは、態度保留ということである。

シークエンスはいちいち格好良いし、画も良いし、セットも美術も良い、カメラもセリフも良い、音楽も勿論良い、シーン毎の出来は良いのだが、いかんせん映画の根本をなすはずのプロットが直接的過ぎて面白みに欠けるのだ。
勿論、「キル・ビル Vol.2」を観た後ならば「キル・ビル Vol.1」の脚本的、プロット的不満は解消されるのだろうと言う、多大なる希望的観測を持っているのだが、いかんせん「キル・ビル Vol.1」は相対的に見て、つまらない映画だと言わざるを得ない。

特に後半部分がまずい。
物語はクラスマックスを迎え、盛り上がっていくべき部分が冗長で退屈なのだ。
腹八分目の分量が最適なアクション・シークエンスが冗長で長過ぎ、ゲップが出てしまうのだ。
VSオーレン・イシイのシークエンスの最大の問題点は、雑魚キャラの存在である。いかにもエキストラ然とした表情の雑魚キャラがカメラの前面に出てくるのだ。アップに耐えられるほどの緊張感を醸し出せるハズもなく、ひどく残念な印象を受ける。
メイン・キャラ俳優達の素晴らしい表情と美術、画面構成、そして演技と比較すると、画が持たないのだ。

あと気になったのは「映画秘宝」的突込みどころ満載な映画だと言うのは最早仕方が無いのだが、「映画秘宝」的パンフレットはいかがなものであろうか。
少なくとも、この映画はワールド・ワイドな観客向けの映画であり、日本国内でも全国拡大ロードショーされているのである。
「映画秘宝」的なテイストを前面に押し出すパブリッシングはいかがなものであろうか。

さて、アクションであるが、最大の問題は殺陣がまずい。
青葉屋のシークエンスでは、ユエン・ウーピンのテーブルや柱、欄干や階段を使ったアクションは良かったし、栗山千明の表情も良かった。ゴードン・リューも格好良いが、いかんせん、殺陣がまずい。素人が刀を振り回している印象なのだ。
ゴードン・リューや栗山千明のシークエンスはおそらくユエン・ウーピンの指導によるものだと思うが、雑魚キャラとの殺陣はユエン・ウーピンでは無いのではないだろうか。
殺しのプロ達の戦いのハズなのだから。

殺陣がまずいということもあり、沖縄で日本刀を手に入れるまでのアクションは良い訳なのだが、例えばオープニング・アクションも、「おぉ、前置き抜きでこんなところからはじまるのか!」という感動すら覚える位だったし、ダリル・ハンナの素晴らしいシーン。(ダリル・ハンナのコートは良いね。)
そして病院からの脱出シークエンスも良いのだ。

しかし沖縄あたりから少しおかしくなってしまう。
敬愛するサニー・チバをコミック・リリーフに使って良いのか。とも思ってしまう。

つづく・・・かも。

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tkr

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