ひとりで出来る自主制作映画 その11
2003年10月7日 自主制作映像作品ひとりで出来る自主制作映画
その11 付録1 脚本を書くことは、映画を作ること
一般の脚本に描かれているものは、必要最低限の舞台背景と動作、そして台詞。
しかしながら、行間を読む者にとっては、脚本には映画に必要なものが全て揃っている訳である。
映像、そして音楽すらイマジネーションの中に揃っているのである。
というより、脚本を書き上げた段階で、それを書いた脚本家や監督の頭の中には、既に完全な映画が出来上がっているのである。
そしてその監督の頭の中の映画は、勿論理想的な舞台背景で、理想的な俳優が最高の演技を見せている訳である。
映画制作とは、その理想的で最高の映画のビジョンを現実の世界に再構築する作業なのである。
しかし、その頭の中の理想的な最高の映画を現実の世界に再構築する場合、どうしても通らなければならない工程がある。妥協である。
現実の世界に「最高の」というものは本当は存在することはできないのである。
つまり、その理想的な映画のビジョンを現実の世界に再構築する際、妥協した結果出来上がったのが、我々が楽しむ映画そのものなのである。
ひとりで出来る自主制作映画 その1
http://diarynote.jp/d/29346/20030806.html
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映像、そして音楽すらイマジネーションの中に揃っているのである。
というより、脚本を書き上げた段階で、それを書いた脚本家や監督の頭の中には、既に完全な映画が出来上がっているのである。
そしてその監督の頭の中の映画は、勿論理想的な舞台背景で、理想的な俳優が最高の演技を見せている訳である。
映画制作とは、その理想的で最高の映画のビジョンを現実の世界に再構築する作業なのである。
しかし、その頭の中の理想的な最高の映画を現実の世界に再構築する場合、どうしても通らなければならない工程がある。妥協である。
現実の世界に「最高の」というものは本当は存在することはできないのである。
つまり、その理想的な映画のビジョンを現実の世界に再構築する際、妥協した結果出来上がったのが、我々が楽しむ映画そのものなのである。
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