「閉ざされた森」

2003年9月23日
「ダイ・ハード」のジョン・マクティアナンが仕掛けるシンクロ・サスペンス。

と言うコピーの話題作「閉ざされた森」を観た。
本作の監督であるジョン・マクティアナンの枕詞が未だに『「ダイ・ハード」の』というのがなんとも悲しいのだが・・・・。

いきなり余談だが、わたしが思うに「ダイ・ハード」は脚本が良く出来ている映画だが、その中での最高のプロットは、ナカトミ・ビルを襲った一味は、テロリストを装ったただの強盗だったということ。
ただの強盗が何故テロリストを装ったのか、と言うと、FBIが「FBIのテロリスト対策マニュアル」通りの対策(ビルの電源を切る等)を取ることを彼等は期待していたのである。
このプロットは「ダイ・ハード」のアクション指数には大きな影響は与えないかも知れないが、わたしたちのようなアクション映画にも論理的な脚本やプロットの冴えを期待するような人達にとっては、非常にキャッチーなプロットだったのだ。
また、このプロットにより、アラン・リックマン演じる強盗の首謀者が非常に頭が良いという印象を観客に与えているのだ。

で本作「閉ざされた森」は、そのようなプロットを5倍位深く突っ込んだような作品になっているのだ。

オープニング・クレジットから「ボレロ」がかかるあたりは、どう考えても黒澤明の「羅生門」へのオマージュとしか考えられず、物語が二転三転するだろう事は、多くの映画ファンには想像がつくだろうと思う。
しかもタイトルの「閉ざされた森」は「羅生門」の原作である「藪の中」と符合する。

しかし、本作は一般の映画ファンが考える真実以上の真実が用意されているのは否めない事実である。
しかしながら、字幕がラストのどんでん返しを意識したものになっており、ラストの想像がつきやすく、若干興ざめの印象を受けた。

また、この脚本は、おそらく観客を騙すことを目的としていると思われ、映画に対して真摯な態度で望む観客にとって、素直に楽しめるものでは無いかも知れない。
事実、最後の真実が明らかになっても、「そうか〜、そうだったのか〜、やられた〜。」というようなカタルシスは感じづらい。

また、本作は前述のように「羅生門」の影響下にある作品の一本なのだが、真相は「藪の中」ではなく、ひとつの明確な解釈を観客に与えている。この辺は正にハリウッド作品の所以であろう。
しかし、ラストで再度かかる「ボレロ」により、もしかしたら・・・・、という印象を観客に与えていることも否めないのではないだろうか。

役者的には、ジョン・トラボルタ復活、といった感じであろうか。ラストの真実に向けての伏線的演技、物語進行上の不可解な矛盾的行動が、深読みをする観客にはわかりやすく、ちと残念であった。

最近出ずっぱりのサミュエル・L・ジャクソンは「愛と青春の旅だち」のルイス・ゴゼット・ジュニアか、「フルメタル・ジャケット」のリー・アーメイのような鬼軍曹振りを発揮している。

ヒロイン役ののコニー・ニールセンは観客の代弁者的存在で、本作の主役と言えよう。観客はこのコニー・ニールセンと同時に真実を知り、悩むのであるのだ。

最終的には、ちょっと理屈っぽいけど、どんでん返しか楽しい娯楽作品に仕上がっていると思うが、全ての観客に受け入れられるかと言うと若干疑問である。
明確な回答が提示されるのが、わたし的には残念である。

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tkr

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