「運動靴と赤い金魚」、「太陽は、ぼくの瞳」で知られるイランの巨匠マジッド・マジディの「少女の髪どめ」を観た。

「運動靴と赤い金魚」はともかく、本作「少女の髪どめ」は、それほど話題にもならなかった映画であり、わたし的には、本作を見逃した場合、おそらく一生観ない可能性が高いと思われるのだ。

で、今回例によって「新文芸坐」で「ボウリング・フォー・コロンバイン」の併映ということで、観ることが出来たのである。

物語は建築現場で働く17歳のイラン人少年が、アフガニスタンから、少年だと偽った上、非合法に出稼ぎに来た少女に、経済的に全てを捧げる。という、ある種救いの無い悲しい物語である。

この映画を観て思い出したのは、ベトナムの寓話の「サソリとカエルの話」である。(この寓話の原典は諸説あります。)

サソリがカエルに「背中に乗せて川の対岸まで連れて行ってくれ」、と頼むんですが、カエルは、「だって君は僕を刺すだろう。だから嫌だよ。」と言うと、サソリは「君を刺したりしたら僕も溺れ死ぬじゃないか。だから心配することはないよ。」と言い、カエルは嫌々ながらも納得し、サソリを背中に乗せ、川を渡ることにしました。
しかし、川の真中あたりに到達すると、サソリはカエルを刺し、サソリとカエルは双方とも溺れ死んでしまう。と言う物語です。

わたしが聞いた話では、「なんで刺すんだよ。二人とも死んじゃうじゃないか。」というカエルの問にサソリが「残念だけど、これがベトナムなんだよ。」と答える、というものです。※

で、「少女の髪どめ」は、「これがアフガニスタン」で「これがイラン」なんだ、と言っているような気がしたのである。

また、感覚的にはチャン・イーモウの「至福のとき」に似た印象を受けた。
語弊があるが、誤解を恐れず言うならば、両作のひとつのコンセプトは、社会の底辺で貧困に苦しむ人々が、それ以上に貧困に喘ぐ人達に対し、自らの破滅を厭わず経済的な援助を行なう。というもので、手垢がついた言葉で表現するならば「無償の愛」ということなのだ。

「至福のとき」と「少女の髪どめ」を並べて観ると、非常に興味深いと思います。
機会があれば、観て見てください。

※ その他には、「これが東南アジアなんだよ」とか「性(生まれつき)だから仕方がない」とか、複数のセリフがあるようです。
この寓話は、「サイボーグ009」とか「クライング・ゲーム」とかで引用されています。
また、「ベトナム戦記」(開高健)と言う書籍にもこの寓話が書かれているようです。
おそらく石ノ森章太郎は「週刊朝日」に掲載されていた記事(後の「ベトナム戦記」)を引用したのではないかな、と思います。

またサソリとカエルではなく、サソリとワニの同様の寓話もあるようです。これは「アフリカ」らしいです。

オーソン・ウェルズの映画でも、このサソリとカエルの寓話が語られる映画があるらしいです。

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