「陰摩羅鬼の瑕」
2003年8月25日先日、京極夏彦の「陰摩羅鬼の瑕」を読了しました。
わたし的には京極夏彦の妖怪シリーズは大好きで、欠かさず読んでおります。
京極夏彦のファン・サイトを立ち上げたこともあります。
で「陰摩羅鬼の瑕」についてですが、わたしはここで内容に触れませんが、ちと気になることがあるのです。
それは、様々なサイトで様々な人が本書のレビューや感想を公開していますが、その中で、「すぐにラストが読める。」だとか、「犯人が意外でもなんでもない。」だとか言う印象を持つ人が多い、ということです。
わたしは常々思っていることがあります。それは、「ラストや犯人が読める」種類の小説や映画は皆さんにとってつまらないものなのか、ということです。
わたしが思うに、多くの小説や映画は、その小説や映画がそのように帰結すべく、正に予定調和的にラストが訪れるよう伏線がはりめぐらされています。
ですから行間を読んだり、フレーム間を観たりする人達にとっては、そのラストは来るべきものであり、最早当たり前の結末なのです。
ですから、そういった物語を見たり読んだりして、「最初の30分でラストが読めた」とかいうのは、わたしに言わせると、「なんて恥ずかしいヤツだ」、「そんな恥ずかしいことを公衆の面前でよく言えるな」ということになってしまうのです。
何しろ、多くの作品には、もともと「ラストはこうなりますよ」という断片情報が、本編に盛り込まれているのですから。
そこで、考えなければならないのは、そういった物語は「ラストや謎解きがどうなるのか」が問題なのではなく、「ラストがそうなってしまうことに対する何か」を表現しているのではないか、ということです。
例えば今回読了した「陰摩羅鬼の瑕」は、犯人が誰なのか、というのが重要なのではなく、−−何しろ懸命な読者諸氏にとってはそれらは最初からわかっていることですから、−−これは予定調和的に物語が進み、ラストが訪れてしまうことにより、語られる物語が引き起こす悲しみを題材にした悲劇なのです。
そして京極堂や懸命な読者は、いかにして真相が明らかになることによる悲劇を回避しようとする、または予定調和的に訪れる悲劇に何某かの救いはないのか、ということを念頭において読むべき種類のものだと思います。
尤も、物語の表面を楽しむ人達にとっては、「誰が犯人で、何故そんなことをしたのか」が重要な問題なのかも知れませんが、物語の奥底を楽しむ人達にとっては、そんなことは自明の理なのであり、自慢げに「はじまって30分でラストがわかった」という言葉を聞くたびにわたしは悲しい思いにとらわれてしまいます。
あぁ、君はなんてあさはかで、愚かなんだ。と。
わたし的には京極夏彦の妖怪シリーズは大好きで、欠かさず読んでおります。
京極夏彦のファン・サイトを立ち上げたこともあります。
で「陰摩羅鬼の瑕」についてですが、わたしはここで内容に触れませんが、ちと気になることがあるのです。
それは、様々なサイトで様々な人が本書のレビューや感想を公開していますが、その中で、「すぐにラストが読める。」だとか、「犯人が意外でもなんでもない。」だとか言う印象を持つ人が多い、ということです。
わたしは常々思っていることがあります。それは、「ラストや犯人が読める」種類の小説や映画は皆さんにとってつまらないものなのか、ということです。
わたしが思うに、多くの小説や映画は、その小説や映画がそのように帰結すべく、正に予定調和的にラストが訪れるよう伏線がはりめぐらされています。
ですから行間を読んだり、フレーム間を観たりする人達にとっては、そのラストは来るべきものであり、最早当たり前の結末なのです。
ですから、そういった物語を見たり読んだりして、「最初の30分でラストが読めた」とかいうのは、わたしに言わせると、「なんて恥ずかしいヤツだ」、「そんな恥ずかしいことを公衆の面前でよく言えるな」ということになってしまうのです。
何しろ、多くの作品には、もともと「ラストはこうなりますよ」という断片情報が、本編に盛り込まれているのですから。
そこで、考えなければならないのは、そういった物語は「ラストや謎解きがどうなるのか」が問題なのではなく、「ラストがそうなってしまうことに対する何か」を表現しているのではないか、ということです。
例えば今回読了した「陰摩羅鬼の瑕」は、犯人が誰なのか、というのが重要なのではなく、−−何しろ懸命な読者諸氏にとってはそれらは最初からわかっていることですから、−−これは予定調和的に物語が進み、ラストが訪れてしまうことにより、語られる物語が引き起こす悲しみを題材にした悲劇なのです。
そして京極堂や懸命な読者は、いかにして真相が明らかになることによる悲劇を回避しようとする、または予定調和的に訪れる悲劇に何某かの救いはないのか、ということを念頭において読むべき種類のものだと思います。
尤も、物語の表面を楽しむ人達にとっては、「誰が犯人で、何故そんなことをしたのか」が重要な問題なのかも知れませんが、物語の奥底を楽しむ人達にとっては、そんなことは自明の理なのであり、自慢げに「はじまって30分でラストがわかった」という言葉を聞くたびにわたしは悲しい思いにとらわれてしまいます。
あぁ、君はなんてあさはかで、愚かなんだ。と。
コメント