ワイヤーアクションに関する余談
2003年7月17日ワイヤーアクションの発祥と進化を考える場合、まず考えなければならないのは、東洋と西洋の文化の違いです。
文化的に考えて、西洋人が空を飛ぶためには、物理的な道具、−−例えば翼のようなもの−− が必要です。これは神話の世界でもそうですよね。「イカルスの翼」とか。これ神話にしては科学的ですよね。
またスーパーマン等のアメコミにいたっても、空を飛ぶ事由が明確に定義されています。
しかし、東洋人が空を飛ぶためには、物理的な道具は何も必要ないのです。精神の力で空を飛ぶことが出来る民族なのですね。東洋人は。
また、ちょっと方向は違うけれども、西洋の空を飛ぶ馬は、背中に大きな翼を持っています。(ペガサスのような感じですね。)
しかし、東洋の空を飛ぶ馬には、何もありませんし、あるとしても、足に小さな翼がはえているだけです。(これは麒麟なんかもそうですよね。)
ですから、そういった文化圏である東洋では、道具立ての必要なしに空を飛ぶ、という文化的お膳立てが既に存在しているわけです。
「マトリックス」やなんかで、ネオが空を飛んだりするのは、西洋の文化圏では基本的に受け入れられないことだと思いますが、「マトリックス」では、まず、
1.東洋の文化的テイストを取り入れているため、飛んでも東洋の神秘の力が説得力を持ってくる。
2.ネオが飛ぶ直前のカットからわかるように、ネオは飛んでいるのではなく、跳ねているのである。(スーパーマンも実は、跳ねているわけですから。)
という手法をとっていますよね。
ですから、もともと東洋には、道具無しで空を飛ぶ文化的根拠があるわけですから、ただ単に身体だけで空を飛んだり、自分が投げた剣に乗って空を飛んだりしてもぜんぜん問題ないのです。
こういった環境の中で、ワイヤーアクションが生まれ、育っていったのは当たり前のことだったのかもしれません。
多分、もともとのワイヤーアクションは、カンフー系で、殴られたり、蹴られたりした人が後ろに吹っ飛ぶ際、引っ張られたものですよね。
多分、現在のような形のワイヤーアクションで人間が空を飛びはじめたのは、香港映画「天空の剣」あたりでしょうか。
これなんとも荒削りで、飛んでいる最中でカットが変わりまくりで、こまったちゃんなんですが、ワイヤーアクションの方向性と可能性を明示したという、凄い意味を持った作品だと思います。
その後「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」あたりで、技術的な落ち着きを見せ、現在に至っているんじゃないでしょうか。
西洋のワイヤーアクションは「スーパーマン」に代表されるもので、原則的に方向転換が出来ないのですが、東洋のワイヤーアクションは空中で自由自在に方向転換が出来る、という特色を持っていますが、これも文化的な背景があるのかもしれませんね。
長くて、支離滅裂系ですね。
文化的に考えて、西洋人が空を飛ぶためには、物理的な道具、−−例えば翼のようなもの−− が必要です。これは神話の世界でもそうですよね。「イカルスの翼」とか。これ神話にしては科学的ですよね。
またスーパーマン等のアメコミにいたっても、空を飛ぶ事由が明確に定義されています。
しかし、東洋人が空を飛ぶためには、物理的な道具は何も必要ないのです。精神の力で空を飛ぶことが出来る民族なのですね。東洋人は。
また、ちょっと方向は違うけれども、西洋の空を飛ぶ馬は、背中に大きな翼を持っています。(ペガサスのような感じですね。)
しかし、東洋の空を飛ぶ馬には、何もありませんし、あるとしても、足に小さな翼がはえているだけです。(これは麒麟なんかもそうですよね。)
ですから、そういった文化圏である東洋では、道具立ての必要なしに空を飛ぶ、という文化的お膳立てが既に存在しているわけです。
「マトリックス」やなんかで、ネオが空を飛んだりするのは、西洋の文化圏では基本的に受け入れられないことだと思いますが、「マトリックス」では、まず、
1.東洋の文化的テイストを取り入れているため、飛んでも東洋の神秘の力が説得力を持ってくる。
2.ネオが飛ぶ直前のカットからわかるように、ネオは飛んでいるのではなく、跳ねているのである。(スーパーマンも実は、跳ねているわけですから。)
という手法をとっていますよね。
ですから、もともと東洋には、道具無しで空を飛ぶ文化的根拠があるわけですから、ただ単に身体だけで空を飛んだり、自分が投げた剣に乗って空を飛んだりしてもぜんぜん問題ないのです。
こういった環境の中で、ワイヤーアクションが生まれ、育っていったのは当たり前のことだったのかもしれません。
多分、もともとのワイヤーアクションは、カンフー系で、殴られたり、蹴られたりした人が後ろに吹っ飛ぶ際、引っ張られたものですよね。
多分、現在のような形のワイヤーアクションで人間が空を飛びはじめたのは、香港映画「天空の剣」あたりでしょうか。
これなんとも荒削りで、飛んでいる最中でカットが変わりまくりで、こまったちゃんなんですが、ワイヤーアクションの方向性と可能性を明示したという、凄い意味を持った作品だと思います。
その後「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」あたりで、技術的な落ち着きを見せ、現在に至っているんじゃないでしょうか。
西洋のワイヤーアクションは「スーパーマン」に代表されるもので、原則的に方向転換が出来ないのですが、東洋のワイヤーアクションは空中で自由自在に方向転換が出来る、という特色を持っていますが、これも文化的な背景があるのかもしれませんね。
長くて、支離滅裂系ですね。
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