「何かが道をやってくる」
2002年12月6日 読書わたしは、比較的たくさん本を読むタイプで、外出時も常に読書用の本を持ち歩いているので、外出先で本を読み終わることもしばしばです。
そんな時、わたしは外出先で、帰宅時の電車内で読むためのいわば緊急読書本を購入することが多いのです。
まあ、2冊以上本を持って歩けば良い訳ですが、いつも2冊だと大変なので、今日あたり読み終わりそうだという想定のもと、2冊持っていくという事も可能ですが、そんな面倒なことは一切しないのがわたしなのですよ。
その場合、わたしが購入するのは大抵、比較的古い本を購入するようにしています。
新しい本は、普通に購入しているので、緊急読書本は、人類が創出した過去の遺産を読むことにしている。ということです。その場合、読みたければ、既に持っている本を購入することもあります。
前置きが長いですが、先日外出先で購入した緊急読書本「何かが道をやってくる」を読了しました。
最早紹介の必要が無い、叙情詩人的SFファンタジー作家であるレイ・ブラッドベリの傑作ファンタジーである。
SF小説というと、残念ながら読者を選ぶカテゴリーだと思いますが、SFファンタジー小説は、普遍性があり、ほとんどすべての読者に受け入れられるジャンルだと思います。
このブラッドベリの小説はSF小説ファンだけではなく、あまり読書をしていないような人にもオススメできる作家の一人だと思います。
物語は、少年から大人への過渡期にある二人の少年と、もう老年にさしかかった、一人の少年の父親と、数十年おきに街にやってくる謎のカーニバルを率いる刺青の男との対決を描きつつ、大人への階段を上ってしまう少年達と、かつての少年の心をとり戻す老人とを鮮烈なまでに叙情的に描写している。
以前とある読書系の集まりで、この物語は、少年時代に読むべきだ、という話もでてましたが、今回大人になった後で再読してみると、感情移入は少年達ではなく、その老人(実際は54歳の設定で、現在では壮年というところであろうか。)に見事に感情移入し、上手くいけば大人の読者は登場人物同様、少年の心を取り戻すことが出来るのです。
詩的な表現の小説は若干とっつきにくい事もあると思いますが、是非ご一読をオススメします。
「何かが道をやってくる」
レイ・ブラッドベリ著
大久保康雄訳
創元SF文庫
そんな時、わたしは外出先で、帰宅時の電車内で読むためのいわば緊急読書本を購入することが多いのです。
まあ、2冊以上本を持って歩けば良い訳ですが、いつも2冊だと大変なので、今日あたり読み終わりそうだという想定のもと、2冊持っていくという事も可能ですが、そんな面倒なことは一切しないのがわたしなのですよ。
その場合、わたしが購入するのは大抵、比較的古い本を購入するようにしています。
新しい本は、普通に購入しているので、緊急読書本は、人類が創出した過去の遺産を読むことにしている。ということです。その場合、読みたければ、既に持っている本を購入することもあります。
前置きが長いですが、先日外出先で購入した緊急読書本「何かが道をやってくる」を読了しました。
最早紹介の必要が無い、叙情詩人的SFファンタジー作家であるレイ・ブラッドベリの傑作ファンタジーである。
SF小説というと、残念ながら読者を選ぶカテゴリーだと思いますが、SFファンタジー小説は、普遍性があり、ほとんどすべての読者に受け入れられるジャンルだと思います。
このブラッドベリの小説はSF小説ファンだけではなく、あまり読書をしていないような人にもオススメできる作家の一人だと思います。
物語は、少年から大人への過渡期にある二人の少年と、もう老年にさしかかった、一人の少年の父親と、数十年おきに街にやってくる謎のカーニバルを率いる刺青の男との対決を描きつつ、大人への階段を上ってしまう少年達と、かつての少年の心をとり戻す老人とを鮮烈なまでに叙情的に描写している。
以前とある読書系の集まりで、この物語は、少年時代に読むべきだ、という話もでてましたが、今回大人になった後で再読してみると、感情移入は少年達ではなく、その老人(実際は54歳の設定で、現在では壮年というところであろうか。)に見事に感情移入し、上手くいけば大人の読者は登場人物同様、少年の心を取り戻すことが出来るのです。
詩的な表現の小説は若干とっつきにくい事もあると思いますが、是非ご一読をオススメします。
「何かが道をやってくる」
レイ・ブラッドベリ著
大久保康雄訳
創元SF文庫
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