わたしはS市で学生時代を過ごした。
わたしが通っていた大学の正門の近くに「山海亭」という名の中華料理屋があった。その店は場所柄もあるのだろうが、昼夜を問わずその大学の学生たちで賑わっていた。
なんでもその店の親父は横浜中華街で子供の頃から修行を積んだらしく、腕は確かで、しかも食材も本場から取り寄せており、店構えの見かけによらず良い店だ。といううわさが、まことしやかに流れていた。
食通でもなく、金のない腹を空かせた学生が集まる店にしては、まあ本格的な店だ。という訳である。
わたしが大学に入学した頃、その店は5〜6席ほどの小さなカウンターしかない小さな店構えだったのだが、その店はわたしの在学中に2度ほど火事にあい、その度にテーブル席が出来たり奥に座敷が出来たりと、だんだん大きな店に成長していった。
学生たちの間では「これがホントの焼け太りだな」と陰口をたたかれていた。
当時のわたしの定番メニューは上海焼きそばだった。
その店の上海焼きそばは、皿の底に油が溜まるほど油っこい焼きそばなのだが、その油っこさを感じさせないものだった。味付けはオイスターソース系でごま油の風味が利いていた。味付けはそれほど濃くはなく、麺の味がたっていて、美味い麺を食べているのだと感じられる良い味だったと記憶している。
何をしてその料理が上海焼きそばなのかは知らないのだが、わたしにとっては「それ」が上海焼きそばであり、現在でもその味を探している自分がいるのである。
大学を卒業し都内の会社に就職したわたしは、それ以来「山海亭」を訪れてはいないが、就職のためそのS市に住み始めた何人かの友人に、「山海亭」という名の中華料理屋を紹介し、たまには食べてやってくれと頼んだりもしていた。
それから何年か経ったある晩、その友人の車で深夜のドライブに行った。
その友人とわたしは学生時代によく深夜徘徊をし、建築中のマンションやら、女子大やらに忍び込んだりしていたのだが、その延長のようなドライブになるはずだった。
そう、ばかをやって大騒ぎをする。そんなドライブのはずだったのだ。
その友人はちょうどわたしの大学の前を通りながら何気なくこう言った。
「お前に紹介されたあの中華料理屋なんて名前だったっけ、あれ半年くらい前に無くなったぜ。」
わたしには言葉が無かった。
そう、わたしの中で何かが確実に終わったのである。(了)
わたしが通っていた大学の正門の近くに「山海亭」という名の中華料理屋があった。その店は場所柄もあるのだろうが、昼夜を問わずその大学の学生たちで賑わっていた。
なんでもその店の親父は横浜中華街で子供の頃から修行を積んだらしく、腕は確かで、しかも食材も本場から取り寄せており、店構えの見かけによらず良い店だ。といううわさが、まことしやかに流れていた。
食通でもなく、金のない腹を空かせた学生が集まる店にしては、まあ本格的な店だ。という訳である。
わたしが大学に入学した頃、その店は5〜6席ほどの小さなカウンターしかない小さな店構えだったのだが、その店はわたしの在学中に2度ほど火事にあい、その度にテーブル席が出来たり奥に座敷が出来たりと、だんだん大きな店に成長していった。
学生たちの間では「これがホントの焼け太りだな」と陰口をたたかれていた。
当時のわたしの定番メニューは上海焼きそばだった。
その店の上海焼きそばは、皿の底に油が溜まるほど油っこい焼きそばなのだが、その油っこさを感じさせないものだった。味付けはオイスターソース系でごま油の風味が利いていた。味付けはそれほど濃くはなく、麺の味がたっていて、美味い麺を食べているのだと感じられる良い味だったと記憶している。
何をしてその料理が上海焼きそばなのかは知らないのだが、わたしにとっては「それ」が上海焼きそばであり、現在でもその味を探している自分がいるのである。
大学を卒業し都内の会社に就職したわたしは、それ以来「山海亭」を訪れてはいないが、就職のためそのS市に住み始めた何人かの友人に、「山海亭」という名の中華料理屋を紹介し、たまには食べてやってくれと頼んだりもしていた。
それから何年か経ったある晩、その友人の車で深夜のドライブに行った。
その友人とわたしは学生時代によく深夜徘徊をし、建築中のマンションやら、女子大やらに忍び込んだりしていたのだが、その延長のようなドライブになるはずだった。
そう、ばかをやって大騒ぎをする。そんなドライブのはずだったのだ。
その友人はちょうどわたしの大学の前を通りながら何気なくこう言った。
「お前に紹介されたあの中華料理屋なんて名前だったっけ、あれ半年くらい前に無くなったぜ。」
わたしには言葉が無かった。
そう、わたしの中で何かが確実に終わったのである。(了)
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