チン・シウトンの作品で「テラコッタ・ウォリア/秦俑」(1989/中国・香港)という素晴らしい映画がある。

物語の主人公は、秦の始皇帝の側近だった将軍である。その将軍は始皇帝の寵愛を受けた冬児という名の女性と禁断の恋に落ち、それを知った始皇帝の怒りを買ってしまう。

始皇帝は冬児を殺した上、将軍を王墓に生き埋めにし、永遠の忠誠を誓わせてしまう。そう、将軍は王墓を守る兵馬俑になってしまうのだ。
しかし、来世での再会を誓う将軍と冬児の最後の瞬間、将軍は始皇帝が追い求めていた不老不死の秘薬を冬児から口移しで呑まされ、不老不死の存在となってしまう。

そして1930年代、将軍は兵馬俑から復活し、駆け出し映画女優となった冬児と瓜二つの女性と再会、しかしながら将軍は結局その女性をも失ってしまう。

そして1980年代、兵馬俑の遺跡で働くかつての将軍の前に、三度冬児の生まれ変わりが登場する。兵馬俑の発掘現場の見学に来た生徒を引率する教師の姿で・・・・。

この映画のスタイルは、伝奇ロマンから、コメディ、スペクタクルと変貌するのであるが、根底に流れるスピリッツは、永遠の命を持ってしまった1人の男と1人の女性とその女性の生まれ変わりとの悲しくも麗しい恋を描いている悲劇なのである。

残念ながら途中のコメディ部分の脚本と演出はいただけないが、輪廻転生を描いた映画の中では、非常に良質の作品だと思う。

さて、ここで問題です。
果たして、前世や別の世界で深い関係にあった者同士は、名前や姿かたちが変わってしまったとしても、お互いに認め合うことができるのでしょうか。

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tkr

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